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被爆体験について 
丹羽 龍夫(にわ たつお) 
性別 男性  被爆時年齢 28歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島陸軍兵器補給廠(広島市霞町[現:広島市南区霞一丁目]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は昭和二〇年三月九日東京都の向島に於て空襲を受け、家内を無くし(当時一七才)三月一五日のりん時召集を受けて広島に入隊し補給廠の衛兵勤務中、八月六日の原子被爆を受けて、衛兵所の(金庫)二メートル四方の陰になり一命をとりとめました。
 
その外は市内の救護と消火及び警備に当り奮とうしました。その際被爆者一五〇名をあづかりましたがほとんどの人が死に至りました。今も目のあたりにきのうのことのように思い当ります。このようなことは二度とないように、したいものです。
 
八月六日の被爆のため六部隊警察及び消防署も一度になくなり、私達一五〇名が唯一の生き残りとなり市内の警備と救護、消火に当ったとおもわれます。
 
フランス及中国ではかくの実験をくり返していますが、あの悲惨な原爆地を見たら二度のかくの実験は止めて頂き度い想いで一杯です。
 
かくの実験を何のためにやるのか理解に苦しむものです。世界の皆さん二度かく実験は止めて下さい。 

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