国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
未来への伝言 被爆の体験と証言 
西宮 健太郎(にしみや けんたろう) 
性別 男性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 広島(間接被爆)  執筆年 1994年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 海軍潜水学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島県佐伯郡大野村田津岡
海軍潜水学校 分校

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
私は海軍潜水学校の教員として広島県佐伯郡大野村田津岡の分校に居り、当日朝食後ピカッと鋭い閃光をして大音響後キノコ雲を見ました。午後集合があり広島市に特殊爆弾が落され死傷者が多数でたので収容所の大野浦国民学校へ負傷者の収容介護死亡者の移送等の作業にあたりました。講堂に収容した殆どの人がヤケドで目鼻口以外は包帯を巻いた異様な姿で医者看護婦も手の施しようもなく水々と水をほしがり乍ら尽きて次々と息を引取り正視するに耐られない惨状あの光景は脳裏に焼付いています収容作業は数日続けました。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
私は直接被爆者でないのと生活に追われ働くことで精一杯でそれほど気にしていませんでしたが、ただ頭髪の抜けるのが心配でした。拾年位い前より高血圧と心臓病で毎月一度は通院加療中です。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
戦後来年で五拾年を迎え世代交替も進んで居りますが日本が今日の繁栄を築いたのわこの間、常に平和であったことが最大の要因と思ひます。多数の戦争犠牲者特に原爆で亡くなられた方々の上にあることを思い核廃絶及び不戦の決意を一層新にし被爆者援護法の制定が一日も早いことを願い微力を尽くしたいと考へています。 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針