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種村 康子(たねむら やすこ) 
性別 女性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1973年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 海軍総隊呉鎮守府 呉海軍軍需部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

●被爆前の生活(呉市内)
私(康子)は、大正15年9月に呉市西二河通りで生まれ、昭和8年、呉市両城小学校に入学しました。校内には「御真影」(天皇・皇后の写真)が納められており、登下校にその前を通る際、服装を正してから最敬礼しなくてはいけませんでした。また、新聞に掲載されている天皇(皇族)の写真等を、各家庭で切り抜いて学校へ持参し、校内の一ケ所に大切に保管することになっていました。この頃から学校では徹底した軍国主義の教育が行われていました。

昭和18年、旧制高等女学校卒業と同時に「呉海軍 軍需部 総務課 試験課」に勤め始めました。

ここでは、缶詰の中味を燃やして灰になったものが、酸性かアルカリ性か分類する実験や潜水艦の空気洗浄剤の検査等の業務に携わりました。 その1年後、私は事務所に配転になりました。

昭和20年、日本最大の海軍工廠(こうしょう、軍需工場)があった呉は、14回もの米軍による攻撃を受けましたが、呉市民に最も大きな被害を及ぼしたのは、同年7月1日深夜から2日未明にかけての空襲でした。わが家も焼夷弾(攻撃対象を焼き払うために発火性の薬剤を装填した爆弾)の波状攻撃(間をずらして同じ目標を連続的に攻撃する事)で全焼しました。

幸い延焼を免れた姉の家(呉市内)に間借りをする事となりました。


●原爆投下および被爆時の状況
当日は仕事を休んで家に居り、朝から暑かったのでガラス戸を開けて横になっていました。すると、突然にぶい音と共に爆風が通り抜けて行きました。すわ空襲かと思って屋外へ飛び出したら、モクモクと大空に上がるキノコ雲が見えました。しかしその時には、どこかに大きな爆弾が落とされたのだろうくらいにしか思いませんでした。それから事務所へ行って、広島に大型爆弾が投下されたという事実を始めて知りました。自警団は、救援物資を積み込んだトラックに乗って広島へと向かっていました。

翌朝、母と私は、兄(真清)と親戚(宮田家)が広島に住んでおりましたので、無事を確認するため呉を発ちました。原爆で線路が破壊されたため、汽車では呉から海田市までしか移動できず、それからは徒歩で広島市内へ向かいました。途中、大八車にケガ人を乗せて海田方面へ歩いて行く人を見て、いやが上にも不安が高まりました。

市内近郊では、再び空爆が起きると危険なので市内に入らない様にと自警団が叫んでいましたが、子供や親兄弟を探すために大勢の人々がどんどん市内に入って行きました。

道の両側には、たくさんの死体が横たわったまま、また、炭化した死体が山積みにされ、焼け落ちた電車の下にも亡くなった人がおられました。川の中にもたくさん・・・。少しでも体を隠そうとしてか、溝やマンホールの中で死んでいる方もおられました。また、木につながれ立ったままの状態で、馬が丸こげになっていました。

兄が東千田町にあった広大の理科系学部の学生でしたので、その辺りから己斐まで探し歩き回りましたが、残念ながら安否はわかりませんでした。この世の地獄を目の当たりして、奇跡でも起きない限り兄は生きていないだろうとあきらめて、その日のうちに呉に戻りました。


●兄と親戚の消息
8日、姉(良子)と友人も身内の消息を求めて広島に入りました。

姉によると、西観音町にある叔父の自宅は、母屋が完全に消失して蔵だけが残っていました。残念ながら誰もいなかったようですが、その蔵の壁には消し炭で「疎開先の五日市へ行く」と書いてあったそうです。

叔父は、自転車で出勤途中に放射線を正面から浴び、数メートル飛ばされ、顔面・上半身に大火傷を負い、はうようにして帰宅されたそうです。それから1週間後の13日に亡くなられました。叔母は、室内にいて火傷は無く、土壁が額に当たり軽傷を負っただけで難を逃れたようです。

兄は、広大の光学実験室の中にいて、窓ガラス越しにピンク色の巨大な火柱を見た瞬間、大爆音とともに床に叩きつけられたようですが、幸いにも横腹を打撲しただけで外傷はありませんでした。

(詳細は、「武内真清  淡いピンクの火柱」の被爆体験記をご覧ください)

 


       原子爆弾は、人類を滅亡させる兵器です。

       全人類総力をあげて、地球上から核兵器を廃絶しなければなりません。

 

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