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被爆体験について 
渡橋 甫行(おりはし としゆき) 
性別 男性  被爆時年齢 11歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市平塚町[現:広島市中区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
あの日平塚の木造二階の部屋で被爆し家の下敷となり自力で外に出たときは煙とほこりで暗闇に近いものでした。痛かったのか無意識のうちに触れた足の皮がズルズルとむけました。宇品で湯呑で一杯の水を飲ましてもらい鯛尾の部隊に収容されました。それから二、三日意識不明の日が続きました。一緒に収容された父に軍医が私のことをダメだと云ったそうです。それまで水を飲むなと云っていた父が突然欲しければ欲しいだけ飲んでいいよと云われたときは子供の私でも死ぬんだなと感じました。
 
その後小屋浦の小学校に移されました。すき間なく並べられた感じの人達が朝起きて見ると何人かが死体となって外に出されて狭苦しかった教室もすぐに広くなりました。引き取り手のない死体は毎日穴を掘って埋られたそうです。血便が出ると赤痢だと云って隔離され皆んな死んでゆきました。私も血便が出ていたそうですが父が兵隊さんに見付からないようにこっそり始末したのだそうです。そのことを思えば血便は赤痢ではなくて被爆によるものだったのでしょう。助かる人達が死んでいったのではと思うのです。
 
私の火傷にリバノール液のついたガーゼが貼られるのですが翌日熱で皮膚に固く張りついたそのガーゼを剥がすときの痛さバリバリと剥がされると膿と血が吹き出して、しかもなんびきかのウジがわいています。私の隣で老人が背中一面火傷でうつぶせになったままで大便を始末してもらったりその火傷にアブやハイがたかるのですが叩くことも出来ず追ってもすぐ来るので追ってやる人もいなくなります。死んだ方がどんなに楽くかそんな気持ちではなかったでしょうか。
 
核廃絶は勿論大切なことです。しかし戦争が始まれば原爆も毒ガスも使われる危険性があります。とにかく戦争が始まったらいけないのです。戦争が人間を人間でなくしてしまうのです。政治が戦争を起すのです。政治が平和をつくるのです。平和を願う政治が世界中に永遠に続くように心から祈るばかりです。
  

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