原爆投下時にいた場所と状況
広島市宇品町
陸軍船舶補給廠第六一四〇部隊
一号(直接)被爆
一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
衛兵勤務終了して勤務引継中、八月六日午前八時十五分、勤務申し送り中に被爆。衛兵所の大金庫の陰になって直接の被爆をまぬかれ、一命を取止めることが出来た次第です。その后市内で火災が発生し各所を消火、及び死者の始末に、又被爆者救護に、転々とし死者の始末と、今思い出しても身の引きしまる思いがよみがれいたします。
二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
終戦后は東京にかえり、東京消防庁にかえり、御陰様にも昭和四十九年三月十五日迄勤務し、幸福に暮らしたことを感謝して今日に至っています。平和に過せる今日この頃に、よい日本になる事を祈るよろこびを続ける様に祈ります。
三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
最近、フランスや中国で核実験をしている事実は、是非害あって益のない核実験は止めて頂き度いものです。
世界の皆様、どうぞ自分自身の地球の大切な事を自覚して実験は止めて下さい。御願い致します。
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