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未来への伝言 被爆の体験と証言 
間野 絢子(まの あやこ) 
性別 女性  被爆時年齢 16歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 1995年 
被爆場所 広島文理科大学(広島市東千田町[現:広島市中区東千田町一丁目]) 
被爆時職業  
被爆時所属 広島文理科大学 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市東千田町
広島文理科大学地学今村研究室
部屋の掃除をすませ、グラジオラスの紅い花を活け終わった

一 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
父を原爆で失い、義兄も翌年原爆症で急逝、私達一家は母の実家を頼って上京した。ケロイドの母を中心とする惨憺たる弱い家族だった。戦後の吹き荒れるインフレの中で、生活と戦う内、長姉が原因不明の病気で倒れた。原爆医療法はまだ無く、私達一家はその医療費の捻出のために大変な苦労をした。私も体内に入ったガラスの破片の摘出手術を三回も受けた。戦後十二年もたって交付された被爆者健康手帳により受診した所、私の白血球数は三四〇〇で常人の半分だった。被爆直後調べたならば幾つだったかと改めてぞっとした。体だけではない。原爆は徹底的に心と生活を破壊した。長姉の原爆症死後認定を得て、墓前に証書を供えた時の寂寥感は忘れられない。

二 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
国家の責任においてひき起した戦争に、国民すべてを駈り立て、そのあげくの核兵器による非戦闘民の犠牲者に、国家補償をするのは当然である。この当然が五十年も放置されている事の方がおかしいのだし、被爆者の中にすら被爆者援護法を正しく理解していない人が多いのは悲しい。そんな事をしたら、いろいろと波及して国の財政が大変だろうと言う。

戦争こそ、最も大きな浪費であり、生物の中で人間だけが「聖戦」と称して犯す大量殺戮であり、その果ての核兵器であることを認識しないと、日本は又、昔に戻り、憲法九条を平気で捨て去る事だろう。
  

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