広島陸軍病院看護婦教育隊に入隊しました。翌年(二〇年)生徒も実習に入っていました。原爆投下前日には、陸軍病院の兵隊さん(患者)に付添って疎開しました。が八月六日、原爆投下の夕方には、救護班として広島に帰る様に命令を受け、基町の陸軍病院に後返りしましたが、病院の跡かたはなく所々に壁が今にも倒れさうに突立っておりました。あちこち焼けておりました。私達がいた処も、働いていた病棟も見るかげもなく、こわれておりました。水道が破裂して水が吹き出していた。入院されていた兵士の方でしょうか?全身ふくれたまゝの死体が転がっていた。あこにも、ここにも折り重なるように……。自分の体が動かずすくんだまゝで歩く事が出来なかった。何時間立っただろうか、……自分に気付いたけど何をして良いか。夜にはなるし食物はなく、休む処もなく、救護するにもどうして良いか、同僚と共に泣きたい思いでした。まだ一九才の女の子には、本当に当惑の淋しい夜でした。 |