身体、こころ、くらしの状態を始め被爆者として心から語りつくせない六〇年でした。
からだについてはこの間糖尿、脳梗塞、健康状態にいつも不安を感じ乍ら生きてきました。特に感じるのは私もひとなみに結婚も出き二人の娘をもうけましたが次女が女の娘を残して六年前悪性リンパにより四一才の若さで死亡しました。被爆とは関係ないと思いますが長女が二世検診の帰りにお父さんの被爆と関係があるんじゃないのと云われ、ビクッとしました。
心については八月六日江田島にて特攻訓練前にピカッとマグネシユムの色ににた閃光。その光が顔に当り思わず熱いといって両手で顔をおおって床に転った。一大音響と共に猛烈な爆風がきて兵舎がガタガタと音を立てて揺れ動いた。広島の上空に巨大な噴煙が空高くそびえ立ち徐々に巨大なキノコ雲となって上昇するのが望見される。
広島市内に入ると足の踏み場もないぐらい負傷者の群、群。
全身焼け爛れた者。被爆者は皮膚に斑点ができ頭髪を失い身元が特定出来ない。まさに生き地獄とはこの事だ。身体全体が大きく膨れペロリと皮膚の皮が下り同じ方向へヨロヨロと歩いて行く。呻く者声を出す事もできないもの兵隊さん水下さい水下さい。そこかしこから水、水の哀願。我々一同なすすべも忘れてしまう一瞬であった。死体を四人で両手両足つかんで運ぶ。そのうち傷口に蝿が止まりその次は蛆が湧き鼻の中、口の中ところかまわずウヨウヨと這い、まるでおぼろ昆布を巻いたおむすびを頬張っているように見える。夜間空襲警報があってもどうでもなれといった感じでつかれのため深い眠りに落ちこむ。パット目がさめる。まわりが死体ばかり。身体を反転してまた眠りに落ちる。
翌朝死体焼却。穴を掘り五、六体ぐらいづつ重油をかけ焼く。悪臭があっても気にならない。到底焼ききれず約一〇〇体ばかり学校のグランドに収容した。
その夜、各自一時間ずつ不寝番任るとの命令。くじ引となる。私の番が午前一時から二時丑三つどき。当夜は煌々とした満月。断末魔の形相した死体、空に向って片手をのばしている死体、くの字形に曲げている死体、さまざま。月夜だから全体を見わたせる。死体の放す特有の悪臭。汚れたタオルを口と鼻に巻いて軍靴の足音も弱くコツコツとしんとした校庭―ひと廻りふた廻り。今にも起き上る錯覚。身の毛もよだつ恐さに震える。その一時間の長いこと。誰がいったか知らないけれどくじに当った人は屍衛兵と呼んでいたそうな。その光景と体験した行動は六〇年経過してもありありと脳裏に焼きついて忘れない。
暮しについては家内二人で生活しています。ふだんは話相手も徐々に少くなり不安を感じるようになりました。原爆友の会で提唱をしているように核兵器の使用禁止を訴え二度と同じ過ちをくり返さないよう願っていますがアメリカのブッシュ大統領と小泉政権のやり方に大きな不安を感じます。日本の憲法九条をしっかり守っていって欲しいと思います。
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