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被爆について思うこと 
佐々木 シズエ(ささき しずえ) 
性別 女性  被爆時年齢 12歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
戦争で兄七人全員が兵隊に行き、父を幼少の頃亡くしていた為母と二人留守宅を守っていました。

七月一日呉の大空襲にあいその後田舎で暮らしていましたが呉が気になり母と二人列車に乗ろうと思っていたら「今、広島が大変な事になっている」と聞き、とりやめて引き返しました。

二日後叔父を探す為母と教師をしていた従姉と私の三人で入市しました。先に宇品の兄の家が気になり行きましたが家はつぶれていました。そして市内を歩きました。とにかく暑く焼け野原は灼熱地獄でした。馬の死骸がありました。靴がボロボロになりました。五日市の学校が広電の収容所に指定されておりましたが最初の所に叔父はおらず、次に行った所で叔父と対面しました。半身黒く焼けていました。

私はその場所にいるのがいやで「帰ろう帰ろう」と言いましたが母は「今夜はここへ泊まるんよ」と言い一晩泊まりました。夜どんどん人が亡くなってゆき、とにかく恐く身の毛もよだつ思いがしました。

次の日高田郡甲田町の叔母のところへ帰りました。

呉の戦争体験、広島の原爆、あの惨状を思い出すのもいやで被爆者健康手帳の申請も、原爆投下後、四〇年経っていました。あちこち体が悪くなり叔父の勧めで申請しました。

現在七〇才を過ぎ病院通いの毎日ですが幸いな事に日常の事は人の手を借りずに自力で出来うれしく思います。これからますます高齢になりますが、やはり、自分の健康状態が気になり老後が心配です。そして子供達が年をとった時の健康状態、経済面などとても気になります。

原爆から三年後、母はこの世を去りました。今思えば私のような子供を相手に母も苦労し、大変だったろうなとつくづく思います。

とにかく戦争はもういやです。戦いの無い平和な世の中になるように祈っています。

  

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