家屋の下敷に姑、私、二男と三人なり、姑は向がちがってゐたので後をたのむの一言を残して死亡しました。長男が学校から帰ったので三人で吉島の飛行場へにげ、のちに千田町の工専学校で長男のけがの応急手当を受け宇品の伯父の家へ行き七日に自宅へ帰り姑が頭と身体が黒こげのまゝ残ってゐたので木々をひろい火そうして八日骨を持って帰り、一〇日に湯来町の義姉の所へ行荷物をあづけてゐたので着物をぬい一四日に母がそかいしてゐる豊田郡安浦町赤向坂へ行きました。
二一年七月に広島へ帰り舟入幸町に二七年三月迄でゐて、二七年三月より三三年五月迄ゐて、三三年六月現在地に住んでゐます。
色々な苦労もしましたが現在はどうにかくらしてゐます。 |