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核兵器廃絶の願い 
花沢 三郎(はなざわ さぶろう) 
性別 男性  被爆時年齢 31歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 宇品凱旋館 船舶司令部(暁第2940部隊)(広島市宇品町[現:広島市南区宇品海岸三丁目]) 
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部(暁第2940部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
昭和二十年八月六日午前八時十五分、世界で初めて日本に原爆が落とされました。

宇品港に陸軍の船舶司令部があり、私はその司令部に陸軍の軍人として勤務しておりました。爆心地の近くの民家に下宿して司令部に通っていたのであります。

当時司令部のある凱旋館の庭で朝礼中でありましたが、突然強い閃光を感じ同時に大きな爆発音がありました。米軍の空襲のある時でしたので反射的に庭に屈みこんだのですがつづいて来た熱風で背中を焼かれました。

爆心地より四キロ程離れていたので火傷は五日程度で治癒したのですが、其の後椎間板ヘルニアという病気を背負うことになりました。毎年春先きになると必ずこの病状に見舞われ、体が変形して片方の足が短かくなるほどの痛みに苦しみました。一時は快復しますが再発はつづき私の生涯病となっております。

当時は原子爆弾と知る由もなく、「空中魚雷のごときもの」という表現で東京の大本営へ暗号電報を打ったのであります。

兎に角下宿の者を救出しなくてはならないと市内へ出掛けることにしたのですが、道路は倒壊した建物の破片で埋まり通ることが出来ません。郊外の比治山公園を通って行くことにしましたが、山上から見る市内は火の海で、火の波が山の麓まで押し寄せておりました。

何とか市内へ入ろうとその周辺を駅の方へ向いました。コンクリートの建物は強い力で押し潰されたように二階が一階になっています。駅舎は倒れ貨物列車が転覆して積荷が散乱していました。線路の枕木もところどころ燃えて煙を上げていました。

全身黒く焼かれて呻きながら歩いて来る兵等にも会いました。(3)

川の堤防には一群の婦人達が皆裸体で、既に冷たく横たわった死体に幼ない子供が泣きながら取り縋っておりました。(9)

夕方になって街はほとんど燃え尽き、道路に燃え残った火を飛び越えながら司令部へ帰りました。

翌朝から凱旋館の庭にはトラックで火傷患者が運ばれ、炎天の庭に筵を敷いて並べられました。皆着衣は燃えてなくなり体は火傷の痕で黒く、頭髪は焼けて男女の区別もつかない状態でありました。(6)(市役所、警察、消防の機能なく農家の人がトラックを使用)

婦人はその黒い体を手で隠し、「顔が治るでしょか」と問いかける人もありましたが、殆どの人は其の夜のうちに死んだと聞きました。

翌日も下宿の人達の安否を知るべく市内へ向いました。通路には焼けた市内電車の残骸があってその近くの側溝に乗客らしい死体が積み重なっておりました。(4)

衣類は全部焼け革のバンドだけ付けている死体もありました。セーラー服のヒダスカートの上にバンドをしていた女学生の姿をその死骸に思い浮かべて涙を零しました。

太田川の水は浅くなり死魚が銀色に浮び、その近くを一体の骸が並んでおりましたが不思議に水は清く澄んでおりました。(5)

相生橋を渡って下宿家の跡を捜しました。

一帯に建物は何も無く、屋根瓦一枚も落ちてはおりませんでした。(8)

防火用水を溜めていたドラム缶がところどころにあって水は未だ熱く湯気を立てておりましたが、その一つに頭の毛がすっかり燃えた男の死体が浮かんでおりました。水の中に飛び込んだが結局は釜茹での状態となった訳けで、焦熱地獄さながらの姿でありました。

下宿のあったと思われる場所も建物の形はなく池の跡らしいコンクリだけが残っておりました。そしてその近くにコンクリで出来た流し台が残っていたのであります。(7)

しかも、その流し台に寄り掛かるように一つの白骨体が未だ白い煙を上げておりました。

流し台に寄り掛かった白骨の腰のあたりにうす紫色の花模様の布が一切れ燃え残っておりましたが、その布はその日の朝下宿の女主人の着ていたプリント模様のワンピースと同じ物でありました。

その一切れの布地は彼女の体から流れ出る油でしっとりと濡れておりました。しかも流し台の上には私が朝食に使った飯茶碗が残っていて、彼女はその茶碗を洗いながらの姿であったのであります。
             ×
広島の悲惨は再び世界に、どの民族にもあってはならない。

地球上に核戦争は絶対にあってはならないと強く念願するものであります。

熱風   

  火傷―高熱―ザルソブロカ糖―椎間板ヘルニア―変形性脊椎症
 
※文中の(3)から(9)は次の原爆の絵3から9を表しています。
原爆の絵1、2

原爆の絵3、4

原爆の絵5、6

原爆の絵7、8

原爆の絵9、10

  

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