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被爆体験について 
川重 俊二(かわしげ しゅんじ) 
性別 男性  被爆時年齢 41歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島電鉄㈱(広島市千田町三丁目[現:広島市中区東千田町二丁目]) 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下の時は千田町広島電鉄大需品課事務所で島根県に電話中で、爆音と同時に事ム所の破壊で、その建物の下敷になり身動きができなくなった上に、頭のケガで顔に赤血が流れおち眼も開けられず、眼鏡は吹きとび手足も動かず自由にならず、机、椅子にはさまれたままの上に、上から建物の屋根が落ちたので、身動きが出来ないまま数時間立ち、全身を打たれ痛んで苦しい中、やっとのことで午後三時頃だったが、こわれたおれてる屋根のすきまから、はいでて裏通り道に出たが、腰の打ち傷の痛みで歩行が困難で、数歩行っては休み、休み痛みをこらへ乍ら御幸橋を渡り専売局前迄行ったが歩けなくなって困っていた所に老母が一輪車をひいて通りかゝったのでむりを頼んで中山の家内の家迄つれて行ってもらったが、全身が動かなくなり座敷の中迄、二人でかゝえて行ってもらったが、そのまま口もきけず全身が動けなくなったまま一週間もすぎ八日頃から、首手足が動くようになったのでトイレにも行かれ食事も何とか戴けるようになった。一〇日目過ぎで妻が吉田町にそかいしていたが、僕の生存を知り子供を背負ひ三才の長男をつれて迎えに行ってくれたので杖をつき乍らも中山駅迄出て芸備線の満員の中にのせてもらひ、やっと吉田口につき、数時間待って、やっとタクシーで丹比の自宅に帰りついたが、それ以来五〇日余りねたきりの生活で頭毛は抜け、顔頭からは数百個の硝子片が出る。眠れぬ痛む体は、いつ死ぬのかと苦しい毎日だったが、初冬になり、やっと痛む腰の傷口の治療に島根県の口羽迄行き一週間余り入院治療する事が出来、その後は杖をつき乍ら吉田病院に通って春になってやっと全快したが、その後も低血や心臓等で困り乍らも九一才になった。今日迄生きられている事が不思議な位で、生かされている現在を只只感謝しています。 

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