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被爆について思うこと 
出島 艶子(でしま つやこ) 
性別 女性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所 広島中央電話局(広島市下中町[現:広島市中区袋町]) 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
一九四五年八月六日広島市下中町広島中央電話局(爆心地から六〇〇メートル)加入課の事務所で被爆しました(一八才で)。六人家族の三人がその年の八月一五日までに亡くなりました。

私は大ケガをし、比治山公園まで夢中でにげました。自分の家に着いたのは八月九日で横川にあった家はすっかり焼けて何一つ残っていませんでした。命をとりとめたのは、私と妹と弟と三人だけでした。七才の弟は骨もみつかりませんでした。

この六〇年は病気とのたたかいでした。始めは髪が全部ぬけ何でこんなことになるのか、何とか生きていたい。一年近くでやっと動ける位でした。今、六〇年たってみてどうしてこんな目に逢わなければいけなかったのかかなしいです。孫の血液の病いをし私が生きていることがいけなかったのだろうかと苦しみました。死ぬまで心配が続くのでしょうか。私の住んでいる三鷹にも一〇〇人をこす被爆者がいます。次々と亡くなっていきます。原爆症認定の申請を出された人が次々と却下され裁判をしている人がいます。国はもっと被爆者のためになるよう考えて見て下さい。好んで原爆に逢ったのではありません。病いをおしてがんばっています。私の妹も病気をかぞえ切れない程かかえてがんばっていきています。弟は今肺がんとのことで逢うことすらできません。

明日のことさえわかりません。

戦争さえなかったら、原爆さえなかったらとこんなことにはならなかったはずです。被爆者の苦しみを厚生省の人達が自分の立場になって考えて下さい(被爆者の立場)。今生きている私達が原爆をなくしたいと思う心を国の立場でもっと強くもっと早く世界からなくなるよう一層の努力をして下さい。

私の体の中にはガラスがたくさん残っています。
  

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