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「戦争と原爆の体験」 
谷口 文江(たにぐち ふみえ) 
性別 女性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(間接被爆)  執筆年 2015年 
被爆場所  
被爆時職業 医療従事者 
被爆時所属 第2総軍第15方面軍広島第1陸軍病院 庄原分院 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私にとって生きている限り忘れてはならない日があります。それは昭和二十年八月六日と九日の広島と長崎へ投下された原子爆弾のことです。今年は被爆七十年になります。昭和二十年私は十九才で広島陸軍病院第一分院で看護婦として働いていました。その頃から戦争も激しくなり広島の上空にも敵機B29が度々襲来するようになり防空壕へ患者を避難させる毎日でした。国民の皆が勝つ為と一生懸命に頑張っていました。広島には軍隊司令部があり、呉には海軍基地もあり早くから広島と呉が標的にされ不安な毎日を送っていました。ある日宇品周辺に敵機(艦載機)が数十機やって来て空襲の為多くの大人子供が負傷しました。負傷者の手当てで大変でした。その時こんな状況ではこの先日本はどうなるのかと不安に思いました。数日後軍隊司令部より命令があり私達は軽傷な傷病兵数十名を連れて県北の庄原病院へ疎開しました。毎日のようにラジオのニュースで外地の戦争が激しくなる様子を聞いていました。そして遂に昭和二十年八月六日朝八時十五分にあの恐ろしい核兵器の原子爆弾が投下されました。そして広島は一瞬のうちに廃墟となり多くの人が被爆し苦しみ亡くなりました。軍部より命令があり私達は直にチームを組んで庄原より戸坂の学校へ救援に駆けつけました。着いた時の状況は言葉に表すことができませんでした。校舎に多くの被爆患者を寝かせ足の踏み場もない程でした。患者は男女の区別も分らず、顔や体は真っ黒で、皮膚は腫れて、ちぎれ、垂れ下がり「水をくれ、水をくれ」と虫がなくような声で繰り返し言っておられました。運動場にはテントがあり、その中には遺体が丸太の木を積み重ねたような有り様でした。その中に小さな子供の遺体がありあまりの酷さに涙が止まりませんでした。山裾の方では遺体を火葬する煙で空はどんよりと曇り、臭いもあり何とも云えない気分でした。二日位救援活動をして庄原病院山内分院(山内国民学校)へ被爆患者を連れて帰りました。山内分院でも被爆患者が苦しみ、多くの人が亡くなりました。病状が悪化し脳症を起こし無意識で急に立ち上がり大声で家族の名前を頻りに呼んで亡くなる人もいました。又夜中に屋外へ飛び出してそのまま亡くなる人もいました。戦争中の為、灯火管制があり真暗の中ローソクの灯りを頼りに捜し廻りました。薬剤も不足し充分な手当ても出来ない状況でした。毎日被爆患者を看護し人の命の尊さをつくづく想いました。庄原山内病院でも多くの方が亡くなり遺骨となって故郷へ帰られる時は、出征された時のことを想い、若くしてあの様な姿にと家族の悲しみを思い涙で遺骨を見送りました。

私も二人の姉妹を原爆で亡くしました。姉は広島陸軍病院第二分院で看護婦として働いていました。又妹も広島市内(旧中島町)の個人病院の見習い看護婦として働いていました。確かな事は分かりませんが二人は原爆ドームから数百メートルの場所で被爆したのではと思います。原爆投下後、父親は毎日のように芸備線に乗って二人の娘の消息を捜しに行きました。一度に二人の娘を亡くした両親の悔む姿は七十年たった今でも私の脳裏に深く残っています。姉は兵隊同様に村葬となりました。そして広島市基町の陸軍病院原爆慰霊碑に名前が刻まれています。妹は過去帳への記載は確認できましたが詳しい事は分かりません。原爆投下半年後の広島は、瓦礫の山で、大きな建物の側に半分焼けた馬であったと思われる死骸があり、これから先、広島の街はいつになったら元の広島になるのだろうと思いました。又この先七十年八十年は草木もはえないとも云われていました。その後一日も早い復興を願い皆で一生懸命頑張り数年で元の広島の街となり現在に至っています。

終戦後は古里に帰り家の手伝いをしていました。私も年頃の娘で縁談話も時々ありましたが被爆者と云う事で断られる事もありました。被爆二世を恐れての事だと思いました。その後結婚し二人の子供に恵まれ、嫁ぎ先の両親を看とり、二人の子供も成長し、私も看護婦として再び就職し庄原日赤病院へ二十二年余り勤めました。退職後は主人と二人暮しでしたが、主人も二年前に他界しました。以前は八月になると毎年のように主人や私の兄弟と広島平和公園の原爆慰霊碑へ二人の姉妹に会いに行きました。今は朝夕仏壇へ手を合わす毎日です。この様な惨禍を二度と繰り返さない為にその記憶を後世の人々に伝える為に書き残したいと強く思いました。今の平和な時代が一日でも永く続く為にも絶対、戦争はしてはいけないと思います。少しでも多くの人に私の体験談を読んで感じてもらい戦争反対の運動を続けて欲しいと願っています。今年の夏は広島と長崎は被爆から七十年の節目を迎えます。私にとりましても今までにも増して平和を強く願う祈念の年になります。        以上
  

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