昭和二〇年四月二九日原隊松本歩兵五〇連隊に応召。昭和二〇年五月一日広島砲兵団司令部に転属。八月六日比治山にて被爆。九月四日召集解除、復員する。
八月六日当日は兵舎比治山小学校営庭に朝中隊長訓示の為勤務者以外全員武装。夏のカンカン照りの日差し中整列中、対空監視哨の敵機の声聞こえ、皆無意識に澄み切った青空を見上げた瞬間強烈な光を浴び無意識に地面に伏す。
顔面強烈に叩かれた様。兵舎は倒れ一面土埃。何も見えず軍帽も何処かえ飛んでなし。約三〇分そのまま待機。やがて視界きく様になり起き上った処顔面日光に照らされヒリヒリ痛み軍帽外の髪の毛もなし。
爆心地らしい方向は真黒いキノコ雲と豪雨降り出したのが見え事の異状が分りました。
隊長命により各自携帯の医療のうより亜鉛化オリーブ油取り出しお互顔面塗布治療しました。
その后隊長命により三~五名一班となり市内にてテント生活、市民の治療に従事する。
幼児、体中木片ガラス片刺さり痛いいたいと鳴き叫び、又火ぶくれの体を引きずり水を求めて涼しい木陰えと集って来ました。
当時広島へは一度の爆撃もなく度々の空襲警報につかれた為か市民の服装は真夏の為簡易な服装故惨状殊の外。又医薬品もリバノール、赤チンにて毎日消毒するのみ。次第に化膿し指等癒着してしまい施す手もなく只々亡くなられた被爆の方々の御冥福を祈るのみでした。 |