八月六日の朝、いつものように午前八時学徒動員先の三菱造船所に到着。
更衣室で作業服に着替えていた時、ピカッと閃光が目に入った思ったとき、ものすごい爆風で体が投げ出された。一瞬何が起ったのかわからず、危険を感じて真っ暗になった中を手探りの四つんばいで防空壕に向った。少しづつ明るさを取りもどし、大粒の黒い雨が降る中、周囲の状況が見えるようになった。
そこには爆風で窓ガラスの破片が顔中に突きささって血だらけの人、机や器具が吹き飛び腹などを打って倒れている人など大変な状況になっていた。
やっと冷静さを取りもどした元気な者達が、目の見えない人達を診療所に案内したり、応急処置の手伝いなどを始めた。
「火薬庫が爆発したらしい」「市街地は大火災を起している」などの声が入り乱れてきた。
時間の経過と共に、家族のことがだんだん心配になり、午後になって友人と造船所を抜け出し、家に向った。しかし市街は火の海で進むことは困難、頭から水をかぶりながら川の中を上流へと歩いて行った。
爆心地に近づくにつれ、熱さのためか、水欲しさからか、川の中に身を投じたまヽ死んでいる人の数が増えてきた。やっと自宅の裏の川岸に着いたところ、隣のおばさんが倒れていた。様子を聞くと「台所で炊事をしていたのに気がつくと二階の大屋根の上に投げ出されていた」「美智子ちゃん(妹)の叫び声を聞いたような気がする」と力の無い声で話してくれた。周囲には全身丸やけどの上、目の見えない人達が足音を聞きつけ「助けて!」「水をください」と救助の悲鳴ばかり。
火傷に水はよくないと知りつゝも、いっときでも乾きが納まればと思い川の水を汲んでわたしながら、両親や妹の姿を探し求めたが、その日はとうとう出合えなかった。
女学生と思われる少女がくの字に折れ曲った鉄柱にはさまれて死んでいる姿、小さな防火用水に七、八人の人達が頭だけ突っ込んで死んでいる姿、農家の牛が街路樹に鼻ぐりをくゝられ逃げようと腰を引いたまゝ死んでいる姿など、この世の地獄絵を見ながら一週間家族を探したが、結局焼跡から三人と思われる白骨を掘り出すことでの対面となった。 |