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爆発の光景と恩師 
中西 靖之(なかにし やすゆき) 
性別 男性  被爆時年齢 15歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 修道中学校 3年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
爆発の光景と恩師
 
原爆が投下された日も、いつもと変らない夏の太陽が朝から瀬戸内の島々に照りつけていた。連日の毎く米軍の空爆による警戒、空襲警報がその日の朝も発令された。八時前後にB29爆撃機一、二機が私たちのいる厳島町の上空を北上していった。
 
私たち修道中学校三年生は学徒動員令によって軍の作業(広島陸軍兵器補給廠包ケ浦分廠)で親元を数ケ月前から離れ宿泊し従事していた。
 
作業が開始されて間もない八時一五~六分におだやかな海上に突如稲妻のようで、しかも溶接(鉄など)の際に光る赤紫色のような強い光が見えた。一体この静かな朝に何が起こったのか、不思議な光に気をとられ、眼を海上方向にむけ、その数秒後に耳を裂くような轟音が響いた。寸時にわれわれが従事しているこの廠内の弾薬庫が事故で爆発した、と直感した。もう作業どころではなく、万一に備えて避難場所に指定されている洞窟へ一目散で走った。その逃げる最中に、生徒の安全を願う恩師M先生(修道中学校教官)の「生徒は避難しろ」の連呼が何度も耳に入った。
 
無我夢中で入り込んだ洞窟内は生徒やそこで働らく工員さんたちで一杯になった。やがて逃げた仲間が全員無事でいることが分かると、入口の方から外の明るい海上に眼をやった。するとこれまで海上の向こうに見えていた広島市街が真黒い煙に包まれ赤い炎に包まれ上空に向かって入道雲が湧いているように見えた。いわゆる「きのこ雲」だ。次第に空一面に広がり、約一時間もしないうちに私たちの上空にも覆いパラパラと黒い雨を降らせた。
 
今までに経験したことのない異様な光景、恐怖に様々な噂が広がり、広島の町、工場などが相当被害を受けていると感じ始めた。変化していく(燃える炎など)様子を見ては肉親(母親弟)や家のことが心配になりその日の一昼夜寝ることができなかった。
 
私たちの恩師M先生や家族、そして多くの市民の大多数は即死、あるいは数日間内に亡くなり、たった一発の原子爆弾の犠牲となった。無念でたまらない。 

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