私自身が疎開致して居りました所は法第二条による区分第二号で広島市爆心地から二〇キロメートル位はなれた所でしたでせうか、…
八月一二日焼野が原と化した中を我が家の跡を探しあて母の完全に白骨化した骨を拾いあげました。
父は太田川伝い等で私の疎開先(広島県安佐郡八木村)まで一応逃げ帰りましたが、光線のヤケドのため八月九日に息をひきとりました。
丁度原爆が落ちた時父は家の外に、母は家の中に居たわけです。
私自身は二週間以内に広島市大手町の焼跡に入市致しましたが、以後特にこれと言った症状は出ないで過して居ります。 |