本人は昭和五八年一〇月に心不全で日本赤十字武蔵野病院に入院中に、一〇月七日脳梗塞を起し脳に相当のダメージを受けた。このため過去の記憶は殆んど消え去り、現在リハビリテーションを行ってもなほかつ言語障害のため会話は不自由である。ついては被爆体験に関する本人の記憶は極めて不明瞭であるが、大体下記の通りである。
広島県立第一女学校二年在学中、勤労動員を受け、被爆時は広島市古田町で、八月六日八時頃は特に仕事なきため水泳に行く予定であったが、警戒警報中のため待機中に被爆し、山に逃げた。途中に黒い雨に見舞われた。やがて帰宅することになり、トラックに乗って住居のある大竹市に帰った。手にすりむき程度の怪我があった他は異常なかった。 |