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佐々木 安芸男(ささき あきお) 
性別 男性  被爆時年齢 36歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 中国軍管区広島地区司令部広島地区第12特設警備隊(中国第32048部隊) 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
ピカッ、閃光ー閃やがて「ドドーン」、八月六日朝礼を済まして作業について間もなく、異様な爆発音に一同驚いて屋外に出て見ると、南広島方向に大きな白い煙のかたまりがもくもくと上っているのが見える。予てマークしていた、間野平発電所がやられた、と直感した。加計警察署から電話「広島市方面が爆撃されたらしいが詳細不明」隊の上手軍曹は直に情況偵察のためオートバイで出動。当人より可部から電話「広島市が全域火焔に包まれて大混乱である。急遽救援されたし」部隊は即時宿内の待機要員全員の非常呼集をなし、翌七日午前八時三ケ中隊を編成。トラックに分乗して広島市に向った。
 
午前十時横川町にて下車。見渡す限りの焼野原、向うにおーと見えるは宇品港だ、広島城はどこだらう、無い―、目に入るのは余燼くすぶる瓦礫の山だけだ、宇品糧抹廠が盛んに煙を上げている。一体こりゃどうした事だらう。流石戦場馴れしている我々も暫し呆然とした。
 
市内に入る、瓦礫の間に焼けたゞれた死体がこゝにも、アッあそこにも、我隊の任務は死体処理と市内清掃である。広島城趾に天幕露営。後長束小学校に移動したが、翌八日から本格的清掃作業に入り以来十五日まで九日間駐留、折からの炎天の下で作業した。その間最も悲惨で哀れを止めたのは、水主町の県庁附近で可憐な女子勤労奉仕隊員が七、八人防火用水槽の中に首を突込んだまゝ死んでいた事であった。川の中に落ちた死体は既にはれぶくれ人別も判然としない有様。
 
運命の八月十五日、有史以来最も激甚な被害をうけた広島の焼野原で終戦の詔勅を聞いた。我々は皆手を握り合って只泣いた。その夜はいゝ月夜であった。何十万人もの非戦闘員の貴い犠牲が終戦に結びついた事を想い感慨無量である。
 
謹みて死者のご冥福を祈る次第である。 合掌
              
元特設警備隊山県部隊本部付
佐々木 安芸男
  

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