私の人生間は実に悲しい人生でした。前の主人と結婚して三年二ケ月そしてあのおそろしい広島原ばくでした。丁度明六日朝は七時四〇分頃空しゅうが止みました。そして朝食の用意しに二階からおりて仕度をして主人は裏げんかんの前で空をながめておりました。私はオシメをホースから水を出して洗ってゐましたら主人が大きな声でさけびました。父ちゃんどうしたのと、たち上がると家がまわり出しました。背中の子供をしっかりとおさえて二人で死のうとさけんだものでした。家はゆらゆらとゆれて二分位ゆれたら静かになって私はかまの下の火をけして、父ちゃん父ちゃんとさけびましたが。それから青年会館の子供の事を話す。子供が助けてくれ助けてくれとさけぶのです。ガラスまどをやぶって出そうとしましたが、どうにもならず人々が早くにげないと自分の命があぶないとさけばれました。
それから四五間行って女の子供の事を思い出してとんで家に帰り二階からひきずりおろしてわきにかゝえてようやくにげました。それからじぶんちに行った事を話す。それから九日横川に帰った事を話し、家の前でくらもとのいこつをさがした事等を話す。
毎日仏様に朝晩手を合せる時、其の当地を思い出しておがみます。毎晩いろいろ考える涙ばかりです。朝晩ごほんぶつ様に手を合せる涙の出るばかりですが、ありがたみで一杯です。
城 光子
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