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清水 一男(しみず かずお) 
性別 男性  被爆時年齢  
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1981年 
被爆場所  
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
空爆の理由で海田市の駅で降ろされその中で約半数位の人は朝まで夜を明かそうかという人また半数位の人は朝までぼちぼち歩こうという人まちまちであった。自分は歩く方に加わってたまたま公用で大阪まで買い物に行って帰りという赤十字のマークをつけた兵隊さんと道連れになって一緒に歩くことにした。町中まではまだ程遠い農家らしい家の前までくると大勢の人がねもやらず投下時の恐ろしい物語りにふけっていた。家の屋根を見上げると大地震のあとのような震動の跡を見て愕然とした。それから暫らく歩いたところに郊外電車が目のあたりにある。よく見ると硝子窓の硝子は一枚も完全なものは無く全部爆風のため破壊されている。乗客は腰掛けたままの状態で眠るように亡くなられている。薄いシャツ一枚でも着ている部分は普通の肌色であったが露出している部分は顔といわず手といわず梅干色に変色している。多分、強力な閃光に照らされたのであろう。この悲惨な状況を見守りながら心の中で合掌しつつ町中を歩いて行くと半死半焼の婦人が一緒に歩いている兵隊さんの靴音を頼りに救いをあわれな声で求めていた。この世の地獄としか言いようがない状態だった。一緒に歩いていた兵隊さんもつぶやいておられた。「これが一人か二人なら何とか死に直面している人たちへせめてもの心の支えになる言葉でもかけてあげたいのですがこれだけ大勢の人では手も足も出ませんからねえ」と。心ひかれつつまたくすぶる町の中を歩いて行くうちお便所へいきたくなったので兵隊さんに「私、用を足してきますのでぼちぼち行ってください。すぐ追いつきますから」というと、兵隊さんは「私も一緒に用を足します」といわれ二人で向かって左の焼跡の方へ入って行って間もなく二、三歩あとずさりしました。そこには折り重なって半焼の人、顔も形もわからぬ原形をとどめぬ姿の人など八十人位の人々が死亡されていたからです。そこは町内の人々が構築された防空壕のように思え焼ける前は広島でも屈指の料理屋ではなかったかと想像しました。庭石の具合からかなり大きな料亭だったと見ましたがそこの庭石のそばに焼けたじゃが芋の一盛りがあったので手に取ってみると焼けすぎでなく丁度たべごろのやわらかさであった。壕の中の人々の冥福を祈りつつまた歩いて行くと広島では一番大きいであろう川が目前に広がっている。川の中を見おろすとそこにも大勢の死者が折り重なっている。橋のらんかんも向かって左の方へなぎ倒されている。爆風のせいだろう。この辺で一番印象深かったことは蜜柑の缶詰などが散乱していたことだが物資不足の当時入手困難のものだったから軍の備蓄品だろうと思った。 

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