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核兵器の廃絶を願って 
仲伏 幸子(なかぶし ゆきこ) 
性別 女性  被爆時年齢 5歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年  
被爆場所  
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

七十路のわれさえ若き団に入り被爆証言せんと渡米す

今から二年程前、国連のNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議の成功を願って、原爆被害の実相と核兵器廃絶を訴えるために、日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)から、四十三名の被爆者がニューヨークへ派遣された。

当時、七十歳の大台に乗った私は、最後のご奉公(?)との思いで渡航を決意した処、大半の団員が私より年長で、最高齢は八十七歳、団長も渡米中に八十五歳の生日を迎えられたことを知った。中には病身をおして参加した方や、車椅子・杖などに頼りながら行動する方、また、娘や姪など若い親族の介助を受けながらの参加者もあり、その熱意に頭の下がる思いだった。

照り返すニューヨーク市の街上を心奮いて平和行進す

当日は三十度を超す真夏日の暑さだったが、NGOとの共同参画で催された街角での「平和集会」に参加すること二時間余、続いて行われた「平和行進」に、一同再び気持ちを奮い立たせて参加した(タイムズスクエアより国連本部側のハマーショルド広場まで)。一行は一万人を超す世界各国からの参加者の先陣を担って行進した。デモ行進をしながら、被爆して全身を熱射で焼かれ三十一歳で逝った母の顔や、病床にあって最期まで核兵器廃絶を願いながら四十歳で亡くなった盟友のこと、また、私自身が被爆の因果関係に苦悩した日々のことなど、様々な思いが脳裏をよぎった。

われらには聞く義務ありと司教告げ被爆証言御堂に響く

核兵器廃絶に何をすべきかと澄める瞳に少年は問う

被爆証言終えたるわれらに伸べられし外国人の手温かなりし

現地での証言活動は、ニューヨーク州及びその近郊の小・中学校、高校を主軸に、大学、博物館、教会など宗教関係の団体、老人ホーム、食料農業センター、日系人の会や個人宅等のほか、数カ国の政府代表部、国連内の原爆展会場・・・等々、多岐に亘った。

今回の活動で、核兵器を保有し原爆投下を正当化する国の大勢の人達が、被爆体験を聞く機会を待ち望んでいたことを直に知り得たのは大きな収穫だった。どの会場でも静粛な空気の中、真剣に傾聴する姿がみられた。沈痛な面持ちで聞き入っていた聴衆が、終了後に礼を述べながら握手を求めて来られた時には、平和を願う気持ちに人種も国境も無いことを実感すると同時に、今回の渡航が無駄ではなかった―と、嬉しく思った。

国連のロビーに開きし「原爆展」身じろぎもせず見つめいる人

被爆体験語れるわれに視線据えひたに聞き入る若きグループ

およそ一か月間開催された国連(メインギャラリー)での原爆展は、世界各国からの見学者の足を釘付けにした。また、実相を語る傍らのコーナーでは国籍や老若男女を問わず、人々が和やかに折紙で鶴を折る姿が見られ、まさに平和を象徴する光景だった。

一方、国連の再検討会議は、宣言文の採択に一応の進展を見せたとは言うものの、課題は山積されたままで、残念ながら「核兵器廃絶」を目指す人々の期待に応えるまでには至らなかった。

核兵器が存在する限り、保有国といえども安全を脅かされ続けるわけであるから、他の何よりも優先して、非核の安全保障の道を探り出すべきではないのだろうか。
「生きて核兵器の無い世界を見届けたい」という永年の悲願は叶いそうもないが、再び被爆者をつくらせないために、私達は明日からもまた老骨に鞭打って、被爆の惨禍を語り続けることだろう。

 

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