あの朝、私はたまたま父のとなりに座って朝ごはんを食べていました。大きな食卓をはさんで向側に母と二番目の姉が並んで座って食事をして居ました。私の右側に八帖間があり、広い廊下があり、その向うの庭がピカッと光り「あっ!」と皆んながそっちを見た次の瞬間、天井がどさあっと落ちてきたのです。
父と私の後には背の高い家具があって、それに天井が支えられて頭の上に空間が出来たのですが、頃〔傾〕斜して倍加された重みが母と姉の上にのしかゝり「机の下をくぐってこっちに来なさい!」と父が叫んでも、母は「満子をたのみます!満子をたのみます!」とくり返すばかりでした。
すぐそばで火が燃えはじめて、父は必死で天井に屋根に穴を開け、やっとの思いで外に出て、私を横抱きにして、池を渡り築山を登り、その向うの裏庭にある防空壕に私を入れ、すぐに母たちを助けに引返して行きました。私はふるえながら立っていました。やがて扉が開いて父が「お母ちゃんもお姉ちゃんもだめだった」と言いました。私は泣きもしませんでした。
悲しいとか恐しいとかの感情そのものが抜け落ちてしまっていたようです。父が引返した時には、もう火の海で、なすすべもなかったそうです。裏庭から石段を下りると川が流れていて、男の人がボロボロの衣服を身につけてよろよろと上って来ました。帽子をかぶっていたところだけ黒く髪が残っていて、そこから下はズルズルに皮ふが剥がれてぶら下っており、顔はボールのように脹れ上っていて、しばらくは誰だかわかりませんでしたが、庭や舟等の手入れをしてくれていた毎日見ているおじさんでした。ボロボロの衣服に見えたのも、ほとんどが剥けた皮ふや、肉片だったのです。
父は、かろうじて助かって集って来た近所の人たちと私を石段に座らせ、布団をかぶせて上から川の水をかけてくれました。そこら中がプスプスと燃えているのです。向う岸では、学徒動員で建物を壊す作業などをしていた、中学生や女学生たちが、大やけどの身体を引きずりながら「お父さーん、お母さーん」と悲痛な声で泣き叫び、助けを求めて這いずりまわっていました。水を求めて下りて来る川に油が浮き火がつきました。その川に、大小の裸の死体がいくつも流れて来ては流れて行きました。一週間程防空壕で過しましたが、毎日、誰かが死んで行きました。
七年後、父も死にました。
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