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被爆体験について 
二宮 タマキ(にのみや たまき) 
性別 女性  被爆時年齢 23歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市(楠木町)[現:広島市西区] 
被爆時職業 医療従事者 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

歯科医師で市内楠木町歯科医院に勤務、診療中被爆。三篠小学校救護所にかけつけ救護の任に当る。夜は大芝公園にて一夜を明す。その時、被爆せし「にわとり」を煮たるものを知人に頂き一日の空腹を満たした次第でした。

二日目は(七日)三篠小学校二階にて学童三〇人余の看護に当る。それぞれひどい爆傷で見るも哀れでありました。「水々。痛いよ。苦しいよ。柔らかいふとんに寝かしてよ。お母さんたちどうして迎えに来てくれないの。」と名々の口から飛び出す声。始めの内は元気よく、次第に弱り、翌朝には三分の二の者は、変り果てしまいました。涙ながらの看護と云っても適切なる事は何一つ出来ない状態でした。

又お産にも立ち会い、経験のない娘の私には大変な重荷でした、が経験者であり神仰のあるおばあさんが豪をのぞかれ(肉親探しの様子)直ちに手を引き依頼し、無事に男児出産。神わざの如く手早く処置され感銘した。私は爆死せし方々の洋服の裾なぞ拝む様にして頂き歩きおむつ代用に当てた。二人の命をあづかるおばあさんと私、それはそれは真剣そのものでした。

三日目の朝は失くなった学童が運ばれ行く姿を見送り只々茫然とし涙も出ない。B29が羨めしかった。又福島県より南方に向う兵士の奥様、子供を連れて面会お別れに来られ広島駅前にて被爆。子供は吹き飛び、自分は動けぬ程の爆傷。「子供を探して下さい。子供を探して下さい。」とかすかな声で叫ぶ女性、眼も見えぬ様子。ガラスの破片が身体中にささり手の下し様もない。不甲斐なさに身の縮まる思いで死を見守るのみでした。

又五、六才の男の子。家の下敷になり「僕も連れて逃げてよ、助けてよ。」はりさけんばかりの声で助けを求めていた。然し誰も無我夢中。一人二人で助けられる事でもなく通り過ぎて行く。私も又後髪引かれつつも大きな男性の下駄をはきふらふらしながら、救護所へ向ったのでした。三日間の出来事は思い出す度今も胸が痛みます。あの日の怖さは、筆舌には尽くす事の出来ない残酷悲惨な光景をいやと云う程見、之に勝さる生地獄はありません。

この出来事、はっきり記憶している事を記録して置きたいと思い戦慄と題して小さな本を書きました。小学校中学校に差上げ喜んで頂きました。

 

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