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未来への伝言 被爆の体験と証言 
五藤 光子(ごとう みつこ) 
性別 女性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島女子高等師範学校(広島市千田町二丁目[現:広島市中区千田町二丁目]) 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島女子高等師範学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市千田町
旧広島女子高等師範学校校舎内、投下直後校舎倒壊

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
爆心地から一・七五キロの学校の教室内で被爆。

窓外が一面真白に光った瞬間、校舎が倒壊。その下からはい出す。右窓側に坐っていたため、右半身火傷、無数のガラス傷と打撲傷で、うつぶせのまま一か月以上寝込む。今でも右腕に大きなケロイドが残っている。

原爆投下できの子雲が舞い上った瞬間、その下でくり広げられたあの言語に絶する惨事!とてもこの世のものとは思われない。今でも、思い出すのも辛くなってしまい、話し出す度に涙があふれてきて言葉をつまらせてしまう。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
貧血と低血圧、白血球減少、次々に出る紫斑に不安になる。特に夏になると身体のおき場のない程のだるさに苦痛を感じる。

勤めが無理なので、家で三十年以上も塾で仕事をしてきた。苦痛を感じる度に、あの時、校舎の下敷きになって亡くなった友の事を思い、がんばらねばと自分を励まして来た。

原爆投下より五十年になり、その間中、被爆者である事を引きずって生きてきた様に思う。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
すでに、地球上には、地球を破壊しつくすだけの核兵器が貯蔵されてしまったと聞く。核兵器の惨酷さを体験している被爆者達は、今も尚、核兵器廃絶を訴え続け行動してきた。私も今後、出来る事でその運動に参加していくつもり。

また、唯一被爆国日本がもっと声を大にして、世界に向けて核兵器廃絶を訴え、その証しとして、本気で被爆者補償問題に取り組んでほしいと願っている。
  

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