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未来への伝言 被爆の体験と証言 
和木 主彦(わき きみひこ) 
性別 男性  被爆時年齢 12歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年  
被爆場所 広島県立広島工業学校(広島市千田町三丁目[現:広島市中区千田町三丁目]) 
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属 広島県立広島工業学校 1年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
原爆投下時にいた場所と状況
広島市千田町
右記の学校講堂前で爆撃機を探がしているとき被爆。閃光で足もと見えず、建物の下敷き。

一 ぜひ伝えておきたい、あの時の光景や出来事(あの日)
ピカドン直前の警戒警報中、日本空軍の戦斗機は広島市上空に飛立っていたが、米機が広島市に侵入するや日本機は超低空飛行に入って、吉島空港に逃げる様に…日本の敗戦を、現実の問題として直感した。

学校前の元安川堤防道、ピカドン後は逃げる人の群れ。その中で一組の母子、水を…水を…と叫び声の連呼…に。水をのめばどうなるのか、私はわかっていたのだが、…その親子に水を差し出した。その母子は静かに眠りについた。…永遠に。…今でも私は罪の責めを感じている。

二 被爆後の病気や生活や心の苦しみ(戦後)
毎年原爆の日、中学の同級生がほゞ全員死亡している事を、想い出すとき感じることは自分だけが被爆しても生き残これたことが、幸福だとは思っていない事に気がついている。(複雑な気持である)

父親が直接被爆者(広島市役所にて)で、胃ガンで亡くなっている。多分自分もそうなるだろうと考えると、自分が米国流の対外戦術に強い憤りをもつ。これは、ピカドンの直後からでもある感情である。

三 今、被爆者としての生き方と、訴えたいこと(現在)
原爆の落された当日の事、それからの被爆者のこと、自分のみたもの…これらは、できるなら二度と経験したくないものである。
地獄の底で生きようとしている自分をみる気持である。……でも後世のためには避けて通れない問題だとは思う。これが本音です。

今後、自分の健康(心身)に何がやってくるか、原爆症だけは自分で予測がつかない。多分、自分達被爆者が死んで百年近く後に科学的に解明されるのが、残念でならない。
  

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