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被爆体験について 
平野 合歓之介(ひらの ねむのすけ) 
性別 男性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
「ピカッ」と紫白色の眩しい閃光が、窓ごしに見えました。机の下に入り蹲くまりました。爆風がゴウゴウと鳴り、兵舎の倒壊が分りませんでした。然し机の下に入っていた為体には何も当らず指に少し焼傷を負っただけでした。幸い工兵隊でしたので倒壊兵舎の下敷になっている戦友を助けだす道具はいろいろ有りましたし、助けだすのに成功しました。丸一日救出に従事しました。助け出されても大きな梁の下になった者等はその後に死亡しました。又落下傘が落ちてくるとそれを見ていた者は熱線で大焼傷をしました。顔が真黒くなり腫れて倍程になりました。之等の負傷兵を連れて戸坂村の小学校が陸軍病院になっていたので、治療と入院の為に行きました。校庭のテント内が治療室で、此処で薬を塗り包帯でグルグル巻きにし目と口だけ出していました。入院は出来ません。教室は全部一般人が収容されていて満室でした。
 
近くの農家に泊めて貰いました。翌日負傷者は召集解除で自宅療養という事で又負傷者を連れて部隊へ戻りました。
 
さすが工兵隊です。掘立小屋が幾くつも出来ていました。此処で起居し、九月廿七日復員迄市内の復旧や病院の復旧等に従事し、川の中洲では焼死者の火葬を行ないました。起居を共にしていた戦友が白血病になり、死亡した者も多数いました。
 
広島の部隊に戻る間中常に下痢でしたが、復員して広島を離れたら下痢は止まりました。現在迄身体の異常は有りませんでした。 

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