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被爆体験について 
新川 芳枝(にいかわ よしえ) 
性別 女性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市牛田町[現:広島市東区] 
被爆時職業 一般就業者 
被爆時所属 芸備銀行本店 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
昭和二〇年八月六日私は芸備銀行(現広島銀行)に勤めていましたが同年七月三〇日結婚の為、一〇日間の休暇を貰っていたので当日は未だ休暇中で運営会に勤務していた主人を朝、送り出し其のまま玄関周りを掃除していた時、閃光と同時にぐらっと爆風が来て夕闇のようになり家は半壊し慌てて防空壕に入ろうとしましたら近くの棕櫚が燃えているので防火用水の水で消したりしていると足がみるみるうちに腫れて来て家の中にやっと入ると同居していた姉は産後で(其の主人は出征中)鏡の前にいたとかで鏡は奥の部屋へ吹き飛びガラスを浴びて数ヶ所怪我をし赤ちゃんは寝ていたので無傷でした。

向い側に住む両親の家に行くと母が廊下にいたとかで全身にガラス片を浴びてひどい怪我でした。私は勤めていたならば死亡しています。銀行の沢山の方々が亡くなられ本店の三階の課の八人の中大怪我をされた(大手町)課長さんと私のみ(牛田)です。だらうと想います。傷は擦り傷ですが打ち身がひどく一ケ月で痛みは(メリケン粉を水に溶いて練ったもので冷したり)取れましたが腫れたまま五〇年経ちました。現在も障ると痛く、其の間何度かレントゲンを撮りましたが骨に異常は無いようで鎮痛消炎剤で治療したり、電気治療にも通いましたが気安めで腫れは変らず、年令も重ねてまいり足は重苦しく坐れないのが苦痛で疲れ易いです。特に季節の変り目、梅雨期はひどく、火傷の方も大変でしたがこうした苦痛を持ち続けています。

主人は其の頃、荒神橋の電車の中で放り出され隣に座っていた方等亡くなられましたが大須賀の方を通って歩いて帰宅する途中下敷きになっている方を助けたり(牛田の自分のうちは大丈夫と想って)し乍らお昼近くに帰宅しました。

其の時吐いたのがよかったのか七四才の現在、肺が弱いですが健康を保っています。(本人も体験記出しています)

大手町、鉄砲町に住んでいた叔母を亡くし沢山の友人を亡くしましたことはつらく平和の世の中を望みます。
  

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