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被爆体験について 
柴田 俊郎(しばた としろう) 
性別 男性  被爆時年齢 18歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 生徒・学生 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
八月六日はよく晴れた暑い日でした。明け方空襲警報。八時前に解除になり授業が始まりました。朝の挨拶も終り二~三言先生が話すやいなや左後方より閃光が走りました。丁度その位置に変電室がありショートでもしたものかと思いましたが爆風により一番前の席から体は黒板の下迄飛ばされていました。

外に出て見れば今にも夕立ちが来るようにどんよりと暗く市の中心部では火の手も上っていました。

背中がひりひりするので見て貰うとランニングシャツの外に出ている左側の皮膚が赤くなっているとの事、光の来た側のみ火傷を負っていました。

負傷者は似島の検疫所にとの事で行くと、火傷で表皮のたれさがっている人、火傷で血まみれになり表面に液がじめじめして居り「水をくれ、水をくれ」と叫んでいる人、又負傷している人々で何とも云えぬ臭気がただよっていました。

炎天下で暑い為、上半身裸で作業して居り、上半身火傷した人、又中学生で市内建物疎開(道路拡張のため)最中で被爆と同時にゲートルに火がつき所々火傷した人等が収容されていました。

爆風の強さは、学校の近くにある御幸橋の欄干が爆心地側は橋の上に一列に、他の側は川の中に同様に倒れていました。

授業を受けていた木造二階建の教室は被爆当時はそのままでしたが、翌日には半分に折れ倒壊していました。何か知らないがすごい威力の爆弾だと改めて思った事でした。

似島に収容されていた夜、ひどい雨が降りました。これが空気中の放射能を洗い流した黒い雨だった様で、この雨に遭い放射能を受け死亡された方、未だに原子病に悩まされている人が居ります。

二度とこの様な事が起らない様、平和な世界である事を願っています。
  

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