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被爆について思うこと 
恩田 明彦(おんだ あきひこ) 
性別 男性  被爆時年齢 2歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2005年 
被爆場所 広島市水主町[現:広島市中区] 
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
○被爆時の家族構成

 父(明治四五年生) 祖母(明治二八年生)
 母(大正 五年生) 母の妹(大正一二年生)
 姉(昭和一五年生) 自分(昭和一七年生)
 弟(昭和一九年生)
 七名

○被爆時の状況

父は軍人で呉に居た。母の妹は教員で当日は七時には出勤して府中町の学校へ。広島市中水主町に居たのは祖母と母、姉弟、自分の五人。

被爆で家屋の下敷になり、母と祖母は骨折、姉と自分はうでと顔面にケガ、〇才の弟のみ柱の間に運良く居て無キズ。五人で五日市の親せきを頼って市内を離れる。

父は当日呉より市内に入って家族をさがす。母の妹は市内を入って五日市の親せきへ。当日の夜には到着。私達五人は五日市の手前のお寺で救援を受けている所で父と会える。揃って五日市の親せきに着く。ケガ等あったが七名生存していた。

○被爆について思うこと

二度と再び核兵器の被害が無いよう、被爆者の生活と健康のための援護の運動に余生をと思います。六〇年を振り返り、一層亡き祖母、おば、父、母  残念との思いを考えさせられます。
  

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