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被爆体験について 
山家 好子(やまいえ よしこ) 
性別 女性  被爆時年齢 11歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市(西観音町)[現:広島市西区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
当時は広島西観音町の電車の停留所で学校え行く途中で一人で原爆にあいました。
 
本当に恐い思いをしました。首や両手等、やけどを、おっていましたが、手当が早く直りました。その時は、母のいる家の方に向いましたが、火の手が上がり、近寄る事も出来ず一人不安な一夜を、近くの防くうごうの中で他人の人々とすごし、子供一人では、どうも出来ず近所に住んでた人が郊外の別荘に住んでいられたのを(この時色々世話になり)たよりに、そこで二、三日泊めて頂き、佐伯郡大野町の父の実家を、たよりに帰りました。(実家もおばあさん一人です)
 
その頃は、父は満州で軍の仕事をし、姉は、女学校よりこれ又、軍の仕事に出かけ、いません。上の兄は大分の軍隊に入っていましたし、下の兄は、今の北朝鮮にいました。
 
家には、母と二人でした。
 
その為め、父等が、終戦になり帰って来た時に家族で広島西観音町の家に調べに行き母の遺骨を探しました。
 
母は焼死していました。
 
本当に悲しく、一年は立直る事が出来ませんでした。
 
原爆さえなければ、身体の丈夫な母でしたのにどんなに悲しんだ事でしょう。
 
戦争は、どんな事をしても、すべきではない。
 
どうして、この世界は、あちらこちらで人殺をし合するのでしょうか。
 
平和のありがたさを、しみじみ味っていますが、世の中、おかしくなっていますが、悲しい事です。

広島のあの日の光景は五〇年立った、今でも、ありありと思い出せます。 

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