広島に原爆が投下されたのは昭和二〇年八月六日の午前八時一五分でしたが当日は軍務のため宇品港の船上でしたがそのまま広島市内に向い午前一〇時頃やっと広島市紙屋町にたどりつきましたがその時は、死者の山重傷患者の救助そして軽傷患者と救援活動を行い一五日まで広島市内(西部)方面の復旧作業を実施しながら救援活動を行いましたが途中(一五日)沖縄方面への出動命令が出され海田湾に集けついたしましたが終戦となりそのま復員し帰宅致しましたがその後度々原爆症にかかりながらやっと今日まで生きている次第です。が未だ病院通院をしています。 |