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被爆体験について 
山代 一美(やましろ かずみ) 
性別 男性  被爆時年齢 15歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 陸軍兵器行政本部広島陸軍兵器補給廠 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は当時広島陸軍兵器補給廠に工員として勤務致して居ました。原爆後命令に依り秘密書類を持って霞町より自転車にのり廿日市の鉄道司令部へ午前中に行き午後は廠内に収容の被爆者の内重患者を廠内の医務科に連れて行き残り時間は兵器補給としての仕事をする。

八月九日~一〇日頃部外の軍の将校方々集合有り。命令に依り原子爆弾と共に落下した物体現在地安佐北区可部に駐屯して居た陸軍部隊に自転車にて取に行く。重サ三〇~三五キロ直径二〇~二五センチメートル長六五センチメートルぐらい。夕方五時三〇分頃帰る。自転車パンクにて帰る。

戦後は命令に依り残務整理にて残り九月上旬頃より体がだるく成り歩行困難血便と体調を悪し田舎に帰り養生する事三年間其の後若さと空気の良さ又野菜等々のお蔭にて現在に至る。 

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