電信電話復旧の為、昭和二〇年八月六日広島市に入市しました。人命救助のため、被災者を白島の逓信省に運び応急手当の手伝を夜を通じて行い、その翌日、被災者の食事をするため食器が無いので、広島市全域をアルミのベントウ箱等の回収に出かけました。
人、人の波(救助等の人で)その時、タカノ橋附近で数人の人が虫の息で、水を呉れ、どこか陰に入れて呉れと、小さいカスかな声で聞えるのを附近の人が見つけていました。その廻りには、焼け野原で何もない状態。そのうち誰かが水とトタンを持ってきて、それをカブせたところこんどは、暑い暑いと云って、とうとう息が切れた様子。そのとき、どこか木陰に運んであげたらと思ったのが、今でも頭から離れません。
平和な今が一番幸福です。どうか、戦争のない核のない世界が出来るよう願う者の一人です。
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