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被爆体験について 
得能 てる子(とくのう てるこ) 
性別 女性  被爆時年齢 33歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 教師 
被爆時所属 高等学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
(その一)
夫馨が戦死(広島二部隊歩兵でした)したので広島市に入市して随分捜しました。二部隊は全滅していたのでいくら歩いても見当りませんでした。まだ横川の農協の倉庫辺りからは燃え続けて居り煙がもうもうと出て居り水道は水が出っぱなしになって居り足の踏み場もないすさまじい光景でした。私は戸坂の小学校に兵隊さんが沢山傷ついて寝て居られると聞きずっと歩いて小学校に行きました。そして一人宛見ましたがやっぱり見当りませんでした。その晩は農家に泊めて頂き翌日も又一日中捜しましたが分らないので家の方へ帰えりました。

(その二)
私は教諭をして居りましたので軍の指示により生徒一〇名程引率して一〇日間程医療看護の任に当りました。白島の逓信病院や矢賀の小学校等で宿泊して病人の看護をしましたが二晩か三晩位苦しんではなくなられ校庭で焼かれ本当に地獄の様で本当にお気の毒で涙がとまりませんでした。お医者様も一人で看護婦さんも少く生徒と一緒に一生懸命看護に当りましたが薬も殆どなくみじめな思いでした。心より平和を願うのみです。
  

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