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被爆体験について 
広瀬 ヤスコ(ひろせ やすこ) 
性別 女性  被爆時年齢 27歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 教師 
被爆時所属 国民学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
私は当時小学校教員であった。高等科の受持で女生徒一五名を連れ学徒勤労奉仕の名目で町の工場に通った。その工場は針工場であったが、子供達に与えられた仕事は飛行機の発動機の鋳型造りであった。大切な戦闘機の部品がこの子供達に造れる筈もなく、翌日の鋳型の殆どは壊されていた。

今思えば全くの茶番劇にしか思えないが子供達は日に数回の空襲警報におびえつつ懸命に汗して働いたものだ。

八月六日校庭朝会に出遅れ職員室で被爆。閃光と同時に机下に伏せ一命は救われたがガラス破片を背に受け失神。

校庭に造られた軍隊防空壕に引き入れられどれほどの時間がすぎたかこの点不明。気づいて外に出た時すでに校庭もまわりもすべて火の海であった。

私の胎内に九ヶ月の子どもがいた。その子も今年五〇才を迎えた。

感無量。

核兵器の使用は国際法違反。生きながらえた者達のねがいで平和を築かねば。
  

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