その日私しは母と二人で家の中にいました。原爆が落ちた時の事は覚えていませんが、胸の所に、ガラスがささって、治療してもらうために、母の背中におぶさって、順番を待って並んでいる所は比治山でした。
道端に人が死んでいます。母の背中に顔をふせていると、その人たちが気になり顔を上げてちらちらと見ています。そんな状態がづっと続いて道端には死んだ人を山のように積んで焼いていました。
こうゆう光景が何ケ所もあるんです。これは四才の子供の目に焼き付いています。どんなに強烈な出来ごとだったか、おわかりでしょうか。
それから七日ぐらいたって、母親の親類がある所にたどりついて、井戸水をのませてもらった時のおいしかったこと、これも忘れられません。
それから、魚の焼いたにおいと、死んだ人の焼いた(におい)が、かさなって当分たべられなかったと母親からきいています。
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