八月六日八時一五分学徒動員で、工場へ出勤途中己斐駅で、光線と爆風で、吹き飛ばされ建物の下敷になる。軽いすり傷ですんだ。空が真黒になり埃りやごみが降る。しばらくすると黒い雨が降る。市内の方は煙が立ち上り火災発生。己斐山方からも数箇所煙りが上がる。雨にぬれながら避難する人がぞくぞく山手の方へ。衣服は焼けてぼろぼろ顔、手、足はやけどで皮ぶくれ、皮はたれ下り幽霊のよう。私は町内の友達二人で山手ずたいに家の方に向ふ。中広まで来て対岸広瀬町は大火災。川にはやけどの人や死んだ人避難者が右往左往。火災が下火になったので広瀬橋を渡る。家はまる焼け。熱風で駈足電車路に出る。焼けた電車の中の座席に座ったまま黒焦の死体が並んでいる。歯だけが真白。横川橋手前電車の中で、やけどや怪我で歩けない人が窓からせんめん器、鍋などを出し水、水と叫けぶ。道路端の手押ポンプで水を汲んでわたすと手を合せて喜んだ。道路にねずみの様な物がはしる。二人でつかまへて見ると雀の羽が焼けてまるはだか。熱風の中川辺りを三篠橋の方に行く。汽車道に出ると軍の士官が部下をつれ被害調査中、後について広島駅の方に行く。
常盤橋鉄橋上で上り荷物列車が、下り線上に吹き飛ばされ横たわって居た。横を通りぬける。饒津から荒神町線路土手には軍人市民たちが服はぼろぼろやけどをして虫の息き。水を水をとうわごとを言って居る。近くにあき缶が有ったので川の水を汲んで持って行くと、急に近くから水、水声が大きくなる。広島駅北口は東練兵場、近くの町の避難場所やけどをした人、死んだ人、避難した、人、人。ふと気がつき自分達の町の避難場所古市町に向ふ。川にわ沢山の死体が浮いている。焼跡の防火用水にわ水を飲もうとして顔からつっこんだまま死んで居た。横川駅から古市までの道端には死んだ人、やけどや怪我で歩けなくなった人がうづくまっている。家族や町内の知人はいないかとさがしながら行く。古市役場で初めて町内の人達に出合ふ。家族の安否を聞く。小学一年の妹がガラスの破片で血だらけ初めて肉親に出合ふ。親や弟は居なかった。夜は近所の人達と農家でざこ寝。やけどや怪我の人のうめきで一睡も出きなった。夜中に死ぬる人、修羅場のようだった。
翌日からは親、弟をさがしに歩きまわる。
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