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被爆体験について 
亀岡 信男(かめおか のぶお) 
性別 男性  被爆時年齢 20歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 大正橋(猿猴川) 
被爆時職業  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
大正橋の東詰の近くで空襲警報が鳴り、私は乗っていたリヤカー(側車付自転車)を置いて防空壕へ入り、警戒警報になったので、大正橋を段原の方向(西行)へ渡りだしたら上空をB29が三機飛行雲を引いて飛んでいた。ちょうど橋の中央附近で、目の前が黄色がかった赤色になり、耳がツーンと鳴って、リヤカーから二―三メートル後に吹きとばされた。

その時帽子と眼鏡がとんで捜したが見付からなかった。リヤカーは三つの車輪がパンクしていた。あたりを見ると橋の欄干の北側は橋の上、南側は川に落ちて、川の中では人が何人か泳いでいた。又前方、段原の方を見るとまっ黒い煙でよくみえない状態だったが、大正橋と荒神橋の間の河土手の家が二〇〇メートルぐらい一ペンに火を吹いて燃え上った。その煙の中から若い女の子が着ているワンピースの左半身が焼けて無く、頭から血を流して泣きながら走って来た。にげる途中バスが止っていたので車掌の顔をみたら真っ赤に火傷をしていたのでそう云ったら、あんたも同じやと云はれ手をみたら火傷をしていたので、自分の小便(アンモニア)をかけて、救護所へ行ったら、薬も油も無いのでこれも効くと云はれて醤油を塗ってくれた。

火傷は薬がないので野菜、キュウリ、ナス、等をしぼってその液を脱脂綿で塗るだけが、一〇日ほどつづいた。その為目も口も腫れ上り見えない喰べれなかったが、お茶をストローで飲ましてもらった。ただつける薬がなかったので野菜の液でやったのが良かったのか、現在はほとんど火傷のあとがない。
  

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