八月六日
私は昭和二〇年八月六日の朝八時前から田んぼの草刈りをしていた時ピカット青白い光が目の前を通りすぎた。その後ドンと大きな音がしたと同時に山の松の木が弓の様に曲った。ひどい風が吹いて空がどんよりと暗くなったので気もちが悪いので家に帰った。一二時前後から空より紙きれが落ちてきだした。広島市からとんできたらしい。午後になって役場から各家で(やきむすび)を造ってまとめて持って来る様知らせがあった。その時石内村では(警防団)と言ふ団体があった。私も団員で夕方から集めたむすびを(トラック)に積んで何人かが広島の西区方面に行った。町は電気はなく暗かった。家はたをれて方々で焼けていた。道路端や川土手には多くの人が死んでいた。
八月七日
明けて八月七日も広島へ行った。町はまだ火はくすぶっていたが西区から宇品まで見とうせる様になっていた。道路や川土手の道にも逃げおくれた人、けがをしてあるけない人が沢山おられたがどうすることも出来ない。七日も大変暑い日だった。
石内のお寺にもけがをした人が沢山来られた。なくなられた人も焼きに行った。 |