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被爆について思うこと 
柴田 政一(しばた まさいち) 
性別 男性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 2005年 
被爆場所  
被爆時職業 軍人・軍属 
被爆時所属 船舶司令部陸軍船舶練習部第10教育隊 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
一七年五月に地球上に大量の核兵器が存在しその使用される可能性について討議されたようですが核兵器廃絶の結論は出せず閉幕された・・・と・・・

私は兄四名が出征兵士として出陣しているのに一六才で暁部隊に入隊し広島で被爆者の実態をいやという程見て参りました。戦争に正義はないというレポートも出して来ました。本当に二度と広島を見ることも語ることも四一年間一度もありませんでした。

昭和六一年現役を退き歴史の足跡と想い広島に足を踏み入れました。すばらしい復興に驚き、当時を思い出し声を出して泣き、深々と頭を下げ立ち去ったのですが、戦友を思い出し被爆に苦しむ友を見て、手帳を取得し戦友会にも毎年出席しています。

今年は被爆六〇年。今尚核兵器の議論がされていますし世界各地では、戦争という憎しみ、暴力の報復が続いています。私も日本人として国を愛し民族の誇りとして出征し靖国で会うことを誓ってマルレ隊に入ったのです。志は一歩で崩れたのです。被爆者二六六、五九八名(一六年末)の一人となったのです。

広島に足を運んでから早くも二〇年。平和運動、核兵器廃絶、被団協活動もありますが、年月と高令化はことを風化されるのは当然だと思う。私は人間である以上、物、楽、名、権力欲はどうにもならぬものと考えています。国も又、民族、宗教、地、欲望は垣根は若干ひくくなっても消えぬと、平和は人類の課題であって解決は出来ぬと考えています。

被爆についてという課題からすれば、私達の使命は一七才のとき両眼で見た実態を後生に語り続けることだけです。

残念なことには、国を愛し忠孝の精神で戦場に消えた兵士は靖国で会うという文化、之れに対し一国の総理が参拝するのに、日本の現代教育を受けたマスコミ或いは中、韓の抗日運動になっていることが残念です。歴史です。A級戦犯なんて世界歴史にありますか。私は右でも左でもありません。一次大戦でオランダへ亡命したカイザの引渡しに成功しなかったので、万全の対策(インドは反対)がA級戦犯を作り出したものです。その後朝鮮戦争。北が中国の支援を受けて国連軍を南へ追い詰めたとき数十万人の軍人が死んでいる。誰がA級戦犯になったのですか。ベトナムも同じです。

「敵は近くにありの兵法」に利用している一党独裁国家に左右されることなく歴史を尊重し襟を正して靖国神社に総理次いで天皇が参拝し民族の誇りを保ちたいものです。
  

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