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被爆体験について 
大和 忠雄(やまと ただお) 
性別 男性  被爆時年齢 5歳 
被爆地(被爆区分) 広島  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 乳幼児  
被爆時所属  
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 
当時五才の子供だったがあの当時の事は、今でも鮮明に覚えています。

突然地震のようにぐらぐらと新築の家が動き、ガラスが飛び散り、何が起ったのか分らないまま、私の祖母がまだ敷いてあった布団を頭から被せてくれたので、怪我もしませんでした。郊外にあった私の家に市内から逃げて来られた人が五人程居られ、火傷には、油を塗れば楽になるとの事で塗っていましたが、二人の方はその後何処かに行かれ、あとの三人の方は、死亡され、名前も住所も不明のまま近所の公園で焼かれ埋葬されました。当時の光景は地獄絵図のようでした。だから広島市内の公園には、慰霊碑が多くある筈です。

私の祖父も旧宅(爆心地から三〇〇メートル程度の場所)へ、荷物を取りに行く途中、己斐附近で被爆し夏なので半袖の腕が出ている部分がケロイドになり最後には内臓疾患で、亡くなりました。

私の中学校時代の担任の先生ですが、体格もよく、柔道もやっていた人が二~三ヶ月入院するからとの話しだったがそのまま亡くなられました。後で原爆病だったと聞き、家もごく近所だった事もありショックでした。

友人知人達が広島に来た時平和公園、原爆記念館、資料館を見せる度、当時の光景が浮かび辛い思いをします。
  

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