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被爆体験について 
楠 博(くすのき ひろし) 
性別 男性  被爆時年齢 11歳 
被爆地(被爆区分) 広島(間接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 児童 
被爆時所属 横浜国民学校 6年生 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

〔救護活動した時の状況、八月六日~八月二十日、安芸郡坂村横浜国民学校〕

八月六日いつもの様に登校。当時夏休みがなく当日も朝礼前校庭で皆んなと遊んでいた。一瞬、目の眩むような光、そして、大音響。私達はびっくり。校庭内に作られた防空壕の中へ飛び込みました。二階校舎の窓ガラスが、爆風で割れ落下するのが見えました。校長先生の命令で全員自宅に帰えりましたが、広島のガス会社のタンクが爆発したと、噂が出ていました。

昼近く、怪我、火傷等で、焼けただれた人達がゾロゾロと自宅の前を通って、学校へ向かっていました。

午後登校。広島に新型爆弾が投下され市内が全滅したと、先生の話があり、学校が怪我された人達の、収容所になるとの事で私達六年生全員で西教室を収容所作り作業をしました。(西教室は三教室に仕切られ仕切板を取外し講堂として使用していた)東教室にはすでに怪我(被爆者)をされた人達が収容されていました。

夕方近く収容所に多くの被爆者が続々と運び込まれ被爆者の殆んどの人が酷くいほどの火傷、皮膚はふくれ上がり髪の毛はジリジリに焼け、被服はボロボロ。まさにこの世の地獄と思いました。

私達は担任の先生の指示により救護活動に来られた人達の手伝いをした。水を欲しがる患者さんには水を飲ませたり室内が非常に暑いのと、ハエや蚊等が、身体に群がるのでウチワで追ぱらったり、あおいで上げる事でしたが三~四日すると火傷が化膿し患部にウジ虫がわき、室内の熱気と悪臭の中で箸等を使ってウジ虫を取って上げたりしました。無傷の様な人でも頭髪が抜けたりし死亡された人もいました。収容所では毎日の様に数人の死者が出ていました。ムシロ、毛布等で巻かれた遺体を運搬するのも手伝いました。朝早やくから暗くなる迄皆さんと共に一生懸命看病に頑張りました。

あれから五〇年当時の事今でもハッキリと覚えております。私達一同毎日駒ネズミのように働いたつもりが今振り返って思うに手伝をしたのか?邪魔をしに行ったのか?

この様な経験は二度とあってはなりません。

 

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