一 爆風について
宇品では平家の中心の瓦が五○枚位飛ばされていたが、四キロメートルも離れているからで中心から三キロメートル位までは木造家屋は燃えてはいないが全部が飛ばされているという感じで、一軒がななめになっていてそれより中は全部野原の如く平らになっていた。一番強く感じたのは、銀行の押しドアがその回りのビルへの取付金具と伴に内側に倒れていた。コンクリートが一直線に一○センチメートル角位のがならんでいたのは考えてみると兵舎の跡の様である。
二 熱の高さについて
一瞬ではあったが非常に高熱でむき出しの肌、おでこ等は全部皮は向け、吾々はペロリ弾と名付けた。皮長靴等も熱には弱く、前半分は全く真黒のくろこげの状態で、うしろ半分は保革油の塗られた新品の皮の光り方をしていた、白い木綿、木材等は殆んど被害を受けていない。これらの木材を使って死体を焼却した。
三 死体の状況について
西練兵場は周囲に鋪道と、練兵場との間に排水用の溝があり、約三角形に一○センチメートル位の高さでセメントで区切りがつけてあったが、その一○センチメートル位のところへ飛ばされて来た死体が一列に並んでおり、練兵場一周全部に死体が並んでいた。又中央に集められた死体も真夏の光に照らされてすでに物凄い悪臭を放ち、その内の一人は腹部がさけて腸がはみだし、ガスが充満して丁度、縁日に売っているゴム風船のように七色に光っていた。
二○人位づつ木材の上に三段に重ね、木材を一メートル位つみ、風上から火をつけると焼けて、石油缶に五杯位の灰と骨とを収容した。堀に浮んでいる死体の引き上げは二○名位かかってやっと引き上げて焼却した。重傷者から「兵隊さん。水を下さいよう」と云う声は今でも忘れることができない。
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