国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
被爆体験について 
林田 康二(はやしだ こうじ) 
性別 男性  被爆時年齢 9歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所 広島市南観音町[現:広島市西区] 
被爆時職業 児童 
被爆時所属 観音国民学校 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

昭和二〇年八月六日午前八時一五分。広島市南観音町昭和新開三菱造船社宅に隣接する南観音小学校の分校で、授業が始まる間、私は自分の足の爪を切っていました。その時、突然に、原色の強烈な閃光が眼を塞ぎました。ワーッキャーッ声ではない恐怖の叫びが突き抜け、生徒達は我先に廊下へ逃れ出ました。

私は気がついたとき、口を動かし、ナムアミダブツを繰り返していました。私の身体は逃げた方向とは逆になり、頭上には、大きな梁が人の字に折れ重なっていました。逃げ口をさがし、階段へ向って逃げましたが、階段は折れ、途中で切れていました。ぶら下って、階下へとびおりました。

階下の廊下には、窓枠や、ガラスが砕け散り、幾重にも織り重なっていました。私は薄いガラスの上を、素足で割れないように・・・・・・・・・と思いながら、半ば空中を跳ぶように走りました。走るその下の方には学友が倒れていましたが、動きませんでした。

私は右前頭部一ヶ所、右耳後一ヶ所、右脛一ヶ所、左膝一ヶ所にガラスが刺さり、負傷しました。負傷して帰宅した私を背負って、母が救護所まで、懸命におろおろしながら走ってくれました。途中で目先が暗くなり、不安でしたが、救護所で治療していただき、その後、総合グランドの避難所に避難しました。多勢の人達が集まり、しばらくして黒っぽい雨が降ってきました。夜になり、父が探しに来てくれ、親子三人揃いましたが、学徒動員で爆心地附近の建物疎開作業に出かけた兄だけが姿を見せませんでした。避難所から爆心地の方を見ると、畠をへだてて、火の海でした。翌日、父母は、負傷している私を残して、兄を探しに小川に沿って爆心地の方へ出かけました。しかし、見当りませんでした。変り果てた焦土と、まだ燃えただれた煙の中に探し出すことはできませんでした。

(被爆して亡くなられた皆さま、戦争犠牲の皆さまのご冥福をお祈り致します。)

 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針