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被爆体験について 
山川 文子(やまかわ ふみこ) 
性別 女性  被爆時年齢 24歳 
被爆地(被爆区分) 広島(入市被爆)  執筆年 1995年 
被爆場所  
被爆時職業 医療従事者 
被爆時所属 日本赤十字社 鳥取支部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

私は当時日赤鳥取支部日赤病院の看護婦でした。

八月一五日天皇直々の終戦報道があり、その二日後思いがけなく私宛の招集令状が、来たので何、どうして、とびっくりしましたがよく見ると、従軍看護婦の出動命令でした。広島にピカドン(当時は原爆と云ふ事をピカドンと云いました。)が投下されて一〇日以上経って居ります。広島の救護班は全滅故、隣県の鳥取日赤に要請があったのか。身の引締る思いで紺の制服に身を固め、総勢二〇人位だったでしょうか、準備整い次第出発したのが一九日早朝。先輩引率のもとに広島へ到着。ホームへ降り立ったものの、見てびっくり。建物は何一つなく、ホームと云っても一段高いコンクリーがあるのみ。火事場の跡でも残がいがあるのに何一つない広野の果てを思わせるものでした。

人気も全くなく、患者収容の場所もなく、宇品に船舶練習部が残って居るとの事。引率者に従い現地へ着いたものの何から先にやれば良いやら。そのうち、何処からともなく兵隊が集って来て何とか仮収容所が出来上り、何処からともなく傷病兵がタンカで、又歩いて来る者。被爆後一〇日以上も経った夏の事とて外傷は皆化膿して居りました。その上蝿が止まってウジ虫が湧き、膿に混じって傷口ビッシリの人も居ました。頭蓋骨と頭皮の中にウジが入り込み取るに容易ではありませんでした。又耳の穴にビッチリ。今日迄放置された患者達、あわれでした。まだ若い兵隊の中には「お母さん」と苦しさを訴える人も居りました。又何の外傷もなく頭の毛がポヤポヤとぬけた人等。トボトボやっと歩いて居ると思った途端にその場に倒れ、そのままの人も居りました。医師は、その様な死因求明の為か、毎日解剖何人か行いました。肝臓をよく調べて居られた様です。ほとんどの死体は肝臓に変化がありました。遺体は、坊さんであった兵隊が経を上げ、ねんごろに火葬にしました。その様な毎日が続き何日か経って兵隊以外の一般の方々傷病者の収容場所のない方も入って来ました。その頃、「アメリカ人が見学に来るんだって」。何の為に。敵意の目で見ました。兵隊も居ましたが、一般のスーツ姿が三人位、今に思えば原爆の威力を確認に来た様でした。皆、オドオド、キョロキョロ、と落付きがありませんでした。目鏡をかけた中年のアメリカ人の顔、今も目の奥に残って居ります。

私達はそれから間もなく岡山から交替が来るとの事にて、ほっと一呼吸つきました。九月の一七日だったと思います。およそ一ヶ月間生涯忘れる事の出来ない体験を致しました。

ナイチンゲール精神に憧れ看護婦になった私ですが、望んだ職業が国のお役に立てた事を人生の誇りと思って居ります。

私の健康状態

その後何日かたった頃、顔、首の廻り、手、と露出部分に皮膚病が生じ、仲々治らず、温泉湯治にも行きましたが治らず、いつとはなく、治った様で、又かゆくなり、二〇年位続いたでしょうか?

又数日後には頭部、毛の中に、〇・五~一・〇センチメートル位の化膿疹が出てたちの悪い出来物(当時、蜂化織炎と云った)無数に出来、マクラが当てられませんでした。昭和二三年に山形に来たのですが、暖かい季節になると、やはり皮膚病が出て悩まされました。

その後疲れると瞼が下がり、重症筋無力症と診断され原因不明との事。入院退院くり返し、後に胸腺切除の手術を五四年一月山大病院で実施。何時とはなく瞼は下らなくなりました。

三二年頃でしたか、被爆手帳交付により健康診断が実施される様になり、白血球数は普通より低かったと聞いて居ります。五〇年頃から集団検診で糖尿が出る様になりその後要治療の検査結果が出、現在県立病院に月一回の通院。四年前は一ヶ月入院。今回一〇月に二度目の入院。現在白内障で眼科へ時々通院。病気人生でした。

三人の子供に恵まれましたが、女児二人が姉の方は長時間立仕事してると股関節が片方丈痛くなると云います。次女は高校位の時から腰の痛みがありX線結果腰椎分離症と云われて居ります。私の健康状態が原因して居なければ良いがと今さら乍ら感じて居ります。

 

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