くるしみて逝きし多くの人々のみ霊安かれ原爆記かく
昭和二十年八月六日朝広島へ原子爆弾投下幾十万もの方々が亡くなられた。戦争と云うもののむごさ痛ましさを忘れ去ることは出来ない。八月五日勤めていた会社の当番を替って貰っていたので六日の朝はどうしても早く出勤しなければと八時に家を出た。皆実町専売局電停迄行って電車に足をかけようとしたが乗り度くない思いがして降りてしまう。一つおくらせるともう会社への時間が間に合わないので家に引返して掃除から始めようと仏壇を開けて拝まんとした時ドカンと云うか物凄い音と共に何処かへ飛ばされたのか、大きなものの下敷になったようで何が何んだか分らないまま気が遠くなりかけた時真暗い中から誰かが助けて助けてと云う声でハッとして此れは大変なことが起きたのだ。逃げなくてはと力一杯はねのけてはい出てみた。真暗い中異様な世界から少しづつ明るさが戻ったような中から見た光景はみるも無残。家はこっぱみじん跡形もなく、呆然と立っている。私は頭から血だらけの姿にびっくり。それでもああ私は助かったのだ、生きているんだと云う実感がこみ上げて思わず手を合はす。その手には念珠がかけられたまま。私は助けられたのだと嬉し涙が出た。
とにかく逃げなくてはと思って血の出る頭をボロ布でつつみ貴重品入りのカバンが常に柱にかけてあったのを下敷の中から引張り出し今夜の寝ることの為にと軽い夏フトンも一枚と台所の方からお米も引張り出して袋につめていたら二階で夜勤明けの妹■(■さん)が寝ていて家共々飛ばされたようで遠くから姉さん大丈夫ね早く逃げようと云う声にああそうだった一人じゃなかったんだ。ケガもなかったような元気な声に勇気づけられて逃げる仕度していたら増井の姉さま助けて、助けてと云う隣の梶山の小母さんの声が聞こえて来た。
何処にどうしているのか声だけ聞こえてくるが二階建の大きな家の下敷では助けに行くこともどうすることも出来ない。何んとかしてあげられないかといらだつ思いの一ときも専売局から火が出たと云う声、又ガス会社が爆発したからあぶないと叫ぶ声、小路をバタバタと逃げまわる人達の叫び声、早く逃げないとどうなろうことか。表通りへ出るにも大きな家がこわされて道をふさいでいる。その上を歩くので中々出られない。近くに住んでいる主人のいとこ、としちゃんが遠くから姉さん元気ね生きとるんね、早く比治山方面へ逃げないと大変よ早く、早く、と云う声も聞いた。私は生きておるんだと云う思いだけ。
漸く表通り迄出てみるとあちこちから血だらけの人、丸裸の男女、途中焼けただれたシャツの下から皮膚がたれ下ったままボロボロの着物姿、髪はぼうぼうの若いお母さんの背中で赤ちゃんが背中を焼かれたのか泣き叫んでいる姿等々みるも無残此の世のものとは思へない状態に足のすくむ思いがした。道路端にも倒れてうめき苦しんでいる人々をふみ越えてと云うかむごいけれどどうする術もなく只ごめんね、ご免ねと手を合すだけ。後をふりむいて見ると広島の街は炎につつまれ燃えあがっている。
翠町の蓮田の中ではドロドロのぼうふらのいる水を手ですくい乍ら傷ついた人達がつっ込むようにして水を水をと手をあげて叫んでいる姿。水をあげたら死ぬるからと誰かが叫んでいるがどうすることも出来ない。此処でも手を合わせごめんなさいと云うだけ。重い足で翠町から仁保の方へ歩いた。仁保の黄金山の兵舎迄たどり着き兵隊さんから水筒の水を貰って飲んだ時のおいしかったことは忘れられない。
休む間もなく又東雲町を通り大洲橋を渡り府中方面へ向って歩く。焼けただれた人、ケガをした人、少しばかりの荷物をもってぞろぞろと郊外へ逃げてゆく人の群で一杯。安芸郡府中えの宮辺りと思うがお午もすぎた二時頃持っていたお米を出してごはんを頂き水筒に水を入れさして貰い少しの休む間もなく又歩いた。道中焼けつく様な道のり。暑いので倒れる人やしゃがみ込んで動けない人、皆只呆然自失のぬけがらのような人達が疲れきってお互にはげまし合い乍らも只黙して坂道を歩くだけの遠い道のりだった。福田まきの峠をこえ高陽から深川へ抜けて夏の陽も漸く沈む七時頃母が疎開している所、狩留家迄無我夢中でたどり着いた。
朝から焼け続ける広島の空をじっと仰ぎ心配のし通しの母がよう生きて帰ってくれたのと云う一言を聞いたまま気が遠くなりその胸にだきくづれてしまった。生きて助かったと云うことも会社へ行くべき筈なのに行き度くない様にして貰って助かったことの有難かったと思う中から私の命の替りに会社の仕事で替りに軍事郵便を取りに行ってくれた庶務の徳田さん、そのとき帰らぬ人となり、又多くの苦しんでいる人達を助けることも出来ずふみ台にして助けらせて貰った命のことを思うと済まない申訳無い思い大きな懺悔の気持ちで一杯。此んなむごいことの戦争と云うものを憎む。
絶対に核戦争はしてはならない。
此の平和は多くの方々の尊い犠牲の上に出来たもの。無にすることなく此の平和を守り続けることを子や孫に残すことの使命があることを念じつつ
竹代 合掌
二十六才
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