国立広島・長崎原爆死没者追悼平和祈念館 平和情報ネットワーク GLOBAL NETWORK JapaneaseEnglish
HOME 体験記 証言映像 朗読音声 放射線Q&A

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

体験記を読む
原爆記 
佐藤 泰子(さとう やすこ) 
性別 女性  被爆時年齢 17歳 
被爆地(被爆区分) 広島(直接被爆)  執筆年 2011年 
被爆場所 広島陸軍被服支廠(広島市出汐町[現:広島市南区出汐二丁目]) 
被爆時職業  
被爆時所属 挺身隊 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

当時私は女子挺身隊員として広島陸軍被服支廠作業部事務室に勤務していました。(爆心地から東南に約三キロ地点)

あの日は朝からジリジリと太陽の照り付ける暑い朝でした。午前七時頃からの警戒驚報が解除になりホッとして水を飲みに行こうと席を立ち、五、六歩、歩いて西側の窓に来た時〝ボッ!〟と云う鈍い音と同時にフラッシュを焚いた様な青白い閃光―。アッと思う間もなく熱い煙が、もうもうと入って来ました。両手で煙を遮ぎりながらその場を通り抜けた途端ゴーゴーゴドーン!それはそれは、無気味な地鳴りの様な音がして煉瓦倉庫が倒れるかと思う程大きく揺らぎました。(当時作業部事務室は戦争が激しくなり木造では危険と云う事で煉瓦倉庫の一部を作業部事務室として使用していました。倉庫内の物は各所に分散疎開されました。)机も椅子も舞い上がる!そこここにあがる悲鳴―。
「被服廠に爆弾が落ちた!爆風じゃ!」と皆は口々に叫びました。

上部からの指令が有ったのかどうかも分からず、その後の私の行動も全く記憶になく気が付いて見れば被服廠の正門に来ていました。そこで見た異様な光景に私は息を呑みました。それは二間幅はあると思う正門一杯にゾロゾロと列を作って入って来る人達です。着ている物と云えばまるでボロ布を引き裂いた様な物、靴は履いていても片方だけ、先の裂た靴、素足の人、まともな服装をした人は一人もいません。その中に髪の毛がジリジリに縮れ茶色に染った髪の娘さんがいます。不思議な事にこの人達はみんな腕を肱から曲げて前に突き出し前方を凝視し誰一人声を出す人もなく無言のまゝ続々と入って来ました。私はこの有様を見て即座に思ったのは、〝よくもまあ、これ程の乞食が広島にゐたものよ、何処から出て来たのだろう。〟と、又、髪の縮れた娘さんを見て〝マー、この非常時にパーマを掛けて非国民が―。〟と心の中で怒りました。

被服廠がやられたとばかり思っていた私が市内で被爆され、あの様な姿になられたと知った時には、本当に驚き言葉もありませんでした。

ボロ布と思っていたのが熱線に焼かれた皮膚が首、肩、腰、肱、手首、指先に垂れ下がっているのです。何と云うむごい姿でしょう。真赤にただれた肌を晒し炎の中の瓦礫の道をよくも避難して来られたものだと私が〝乞食だ非国民だ〟と思った事が申し訳なく詫びても詫びても詫び切れぬ思いです。

煉瓦倉庫は急遽救護所となり見る見る中に負傷者で一杯になりました。「水下さい!水下さい!水!水!水!」の声は煉瓦倉庫に反響して〝ウォンウォン〟と鳴りました。コンクリートの上に寝かされた負傷者の顔は、みな風船の様に腫れ目は糸の様に細く、誰の顔も同じに見えました。

見習士官の指示に従いひとりひとり名前を聞いて回りました。名前を聞いても「水下さい、水下さい」と云うばかり、やっと云ってくれても口だけ動いて声にならぬ子、云っている途中で云わなくなる子、もうすでに息絶えている子、やり切れぬ思いで回っている中にはっきり答えてくれた少年に出会いました。
「広島県立第一中学校、一年一組、三宅等、一等二等の等
 広島市尾長町東山根大内越峠○○番地。」

ひとしと云う字を一等二等の等とまで云って教えてくれた三宅等君、両親に伝えて欲しい必死な思いが愛おしく再び三宅君の処へ戻って見るともはや息はありませんでした。三宅君のそばを暫く離れないでいると見習士官が「早う聞いて回らんと死ぬるぞ」と怒鳴る。私は三宅君に「ごめんネ」と云ってその場を去りました。傍らの少年が消え入る様な声で「足が熱いからゲートルを解いて下さい。」と云いました。「ええ、ええ、解いてあげるよ。」解き始めたゲートルにベットリ身が付いて来るのです。私の解く手が止まってしまいました。余りのむごさに声を掛ける事も出来ませんでした。それにしても「熱いから‥‥」と云ったのに解きかけたゲートルに1センチ厚みの身が付いて来るのに痛いとも、足をすくめる事もしなかった。若しかして「解いて下さい」が最后の言葉だったのか、それとも「痛い」と云う力さえなかったのか、声を掛けなかったのが悔まれました。
「水下さい。水下さい。」の声はあちらからもこちらからも聞こえます。そんな中、見習士官の「水を飲ませたら死ぬるぞ!飲ませるな。」の激しい声が飛び交います。

水を欲しがる女学生(旧山中高等女学校)に「水を飲んだら死ぬるんよ」と云うと、女学生は、「死んでもいいから飲ませて下さい。一ト口、ゴックリ飲ませて下さい」と云いました。私は思わず泣きました。〝死んでもいいから飲ませて欲しい〟〝一ト口、ゴックリ飲みたい〟それ程までに欲しがる水をどうせ命は無いものを何故飲ませてあげなかったか、あの女学生の言葉は今も耳に焼き付いて離れません。又、もう一人の女学生(進徳高等女学校)は「水を飲んだら死ぬるよ」と云うと「それでは、お婆ちゃんが来るまで我慢します。」いじらしくて、又、泣きました。

七、八ヶ月位の赤ちゃんがお母さんを捜しているのでしょう、寝かせてある負傷者を乘り越え乘り越えあっちこっち泣きもしないで這い回っています。ようやくお母さんを捜し当てた赤ちゃんはお母さんの胸を開いてお乳を吸いはじめました。まあー、何と云う事でしょう。そのお母さんはすでに亡くなっているのです。可哀想に、夕方近くあの赤ちゃんはどうしているだろうと見るとお母さんの胸に顔を埋めて亡くなっていました。

 嗚呼 この残酷! この悲惨!
 あの日から六十五年の歳月は流れました。
 年経る程にあの日の惨状は鮮裂に思い起こされ慟哭の思いです
 再び有ってはならぬ此の惨禍
 核廃絶の叫びを全世界に届け
 真の世界平和の到来をひたすらに祈ります。

 歳経れど
  あの日新らし原爆忌
 水欲る声の
  耳に焼き付く

 

HOME体験記をさがす(検索画面へ)体験記を選ぶ(検索結果一覧へ)/体験記を読む

※広島・長崎の祈念館では、ホームページ掲載分を含め多くの被爆体験記をご覧になれます。
※これらのコンテンツは定期的に更新いたします。
▲ページ先頭へ
HOMEに戻る
Copyright(c)国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
Copyright(c)国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館
当ホームページに掲載されている写真や文章等の無断転載・無断転用は禁止します。
初めての方へ個人情報保護方針