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小田 テルコ(おだ てるこ) 
性別 女性  被爆時年齢 19歳 
被爆地(被爆区分) 広島(間接被爆)  執筆年 2012年 
被爆場所  
被爆時職業 医療従事者 
被爆時所属 大本営陸軍部船舶司令部 
所蔵館 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 

当時、暁部隊の兵舎があり沢山の兵士がおりました。それは五日市の山ぞいで兵舎がいつも一ぱいになる入口でその麓にあった診療所に務めていました。住まいは地御前海岸で現在は療養所になっていると聞きました。そこから電車で通勤してました。八月六日朝礼がすむかその瞬間広島の空に大きなきのこ雲が昇り大変な事がおきたとみんなで見ていました。それから早速指令が出て井の口の電車通りに救護所を張り医療救護活動を開きました。

軍人がトラックで何台も出動し患者を運んできました。あの原爆の絵にあるような人、男か女かもわからないような人達がトラックからおろされてどんな治療をしたのかはっきり覚えていないのですが幼児が三人タンカにのせられてみんな一皮むけて粘膜と粘膜がくっつくととても痛いのに泣く声も出ない状態で来たのにはいかに看護のためとは云え声も出ませんでした。この状態は現在も瞼の奥にはっきりと残って私の人生をかえました。

当時の私の頭にあるのは実践女学校、この講堂今で云うと体育館に次から次へと送られてくる女学生、当時は電車の車掌を手伝っていたと聞いてましたがみんな背中をやけどして裸のまま運びこまれただ幼いのに涙がとまりませんでした。しかし軍隊も薬不足で、白い粉をチンク油でといてそれをガーゼにのばして背中に貼る、これが治療でした。これも二、三、日すると蠅がうじを生み背をじょろじょろはいまわるのです。ガーゼの取替えは痛いのでとてもいやがり、それでも外(ほか)に治療法がないのがあの頃の医療だったのです。私達もこのうじを取る事が介護の一たんでした。少女達は毎日「お母さん、お母さん」と「助けにきて」と泣き乍ら訴えるのです。お母さんの住所もわからず連絡のしようがありません。一緒に泣くしかないのです。申訳ないと云う気持が自分の体を痛めます。そんな毎日のなか一日二~三人の子供達は命を落して行ったのです。兵隊さん達が担架に体を紙でくるんで野の花をのせて校庭のすみの大きな穴にねかせて火をつけ焼いて葬りました。お母さんに一目でいいから逢わせてあげられなかった事を私達は申訳ないと今でも申訳なく思っています。ごめんね。あなた達はお国のために戦ってくれました。まだ生きたかっただろうにと今でも感謝しここまで生きられたのは貴女達のおかげよと仏だんにお参りしています。

終戦となり暁部隊も解散となり私達も帰らねば生活できません。寮を出る事、故郷に帰る事と時が迫ってきます。少しの荷物をリュックにつめて帰る道々乗りものも原爆でとだえて歩くのみです。横川まで電車にのりそれから友達とその弟さんと三人で歩きました。可部は幕の内トンネルを山越えで可部の町から歩いて行くとあの坂の頃は夕方で道端のおじいさんが「気をつけて行きんさいよこの峠には狐や狸がおるけえばかされんようになあ~」と峠を月を眺め乍らこえておりると山手にお寺がありました。現在もあります。そこの縁側で軍から払い下げられた毛布をかぶってぐっすりねむりました。朝きもちよい風に起こされて何もたべるものものむものもないまま空腹をかかえて歩きました。飯室まで行けばバスがあるときいていたので勇んで歩きついてみると台風で道路がこわれ、バスが通らないと云うことがわかり、それでも歩くしかない。帰らないと母に逢えない。その一心で一生懸命に歩き今の様に自家用車があるわけでもなくただ私達が歩くのみでした。太田川におりて水を呑み言葉も発せずただ夢中で歩き夕方七じ頃加計に着きやっと我が家にたどりつきました。何はなくとも両親の姿に泣くばかり。ふとあの実践女学校の生徒達の顔が親を求めて泣いた顔が浮んで涙しました。毎日熱にうなされ食欲もなく下痢におそわれこの娘は死ぬだろうと親も思っていたようです。あれから二三才で結婚し三人の子供に恵まれ、今現在八六才で一人暮ししています。

随分波乱万丈な人生でしたが感謝しています。すぎ去った人々にありがとうです。

主人とも死別れて一九年になり子供達も市内です。

 

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